最近の日記

8月4日〜

新箱です

亀山早苗 2009年08月04日(火)01:39

ごんさん
うむ? 男性をレイプするのは、同性愛者である男性、もしくは女性しかいませんよね。
比率的に考えて、男性をレイプするのが女性である確率が高いのは当然では???
なーんて思ってしまいましたが・・・。

相手を「自分」というのは、大阪の人に多いのでしょうか。
確かに京都の人には言われたことないなあ・・・。
大阪と京都と神戸って、こっちからみると大差ないような気がするのですが、
厳然と違う!!! のですよね。

私が関西弁(これも地域によるのかもしれませんが)で、すっごくいいなあと思うのは
「〜しはった」という言い方。
今日もとあるところで、京都出身の男性が、
「どうしたんですか、そんな大きな荷物もたはって」と言っていて、
ああ、いいな〜と思いました。
東京弁なら、「そんな大きな荷物もって」と言うところですが、
それだとちょっと揶揄している感じがしなくもない。
「もたはって」というのが、とても柔らかくて、
なんとなく相手への気遣いが感じられて・・・。いいですね。

亀山早苗 2009年08月05日(水)03:17

ライオンさん
おかえりなさ〜い。
実家はやっぱりほっとしますよね。
帰るところがあるっていいなあ・・・。

ごんさん
うむ・・・若い女の子も肉食系になってるんですね。
ナンパは男がするもんだと相場が決まっていたのに・・・。
その手、私もやってみようかな〜。
「おかしなオバハン」で終わっちゃうでしょうねえ。

亀山早苗 2009年08月06日(木)03:41

夏は恋が始まりやすい季節?
そうかもしれませんねえ。
気持ちがどこか開放的になっているし。
いやあ、でもそれってやっぱり若いってことかもしれないなあ・・・。
サザンの曲とともに始まる恋・・・なんちゃって。
なんだか懐かしい、甘酸っぱいようなほろ苦いような思いが・・・きゃ。

亀山早苗 2009年08月09日(日)22:42

なおこさん
こちらへいらっしゃるのですね。
東京見物って、どういうところが喜ばれるんだろうといろいろ考えましたが・・・。
東京って、海外の人たちもびっくりするそうです。
なぜなら、繁華街が多すぎるから。

確かに、池袋、新宿、渋谷、銀座、六本木、青山・・・。
下町だって浅草、神田・上野やら、人形町まで多彩です。

私としては、歌舞伎座や(一幕だけ見られる席があります)寄席がお勧めですが、
好みもありますからね〜。
そういえば、東京タワーなんて幼いころに行ったきりです。
六本木ヒルズやミッドタウンは人気のようですよ。
あとは夜の歌舞伎町!?
最近はそう怖い町でもなくなって、かえっておもしろくなくなっていますが・・・。
六本木は昔のディスコ復活・・・もあって、40〜50代が遊んでいるようです。

お子さん連れなら、博物館巡りなどもいいかもしれません。
原宿に行ってみるのも。
渋谷に連れていって、「ああなっちゃいけないよ」てのもアリかな・・・。
横浜あたりとか、ディズニーランドなども定番ですね。

関東・・・といってもいささか広いのですよ。
たぶん、東京人からみると、生粋の群馬や栃木の人のことはまったくわかりません。
県民性の本など読んでみるとおもしろいかも。
ただ、お母様がおっしゃるとおり、代々、東京に生まれ育っている人はごくわずか。
だからといって、問題があるわけでもありません。
それに、日本語が通じるのですから、どんなアクシデントがあっても
どうってことはないですよ・・・。

楽しんできてくださいね。
もう少し詳細がわかれば、(何日くらいいるとかどういうところへ行きたいとか)
またわかる範囲でお知らせしますね。

東京住まいのみなさん、自分のお薦めスポットを書いてくださーい!

7月30日〜

新箱です

亀山早苗 2009年07月30日(木)00:51

ライオンさん
ザッハートルテですか?
濃厚でしょう? ぐふふ、でもおいしいんですよね〜。
あの甘さがやみつきになります。

ごんさん
確かに、今もこれからも高齢者の性や恋の問題、いろいろ出てくるでしょうね。
10年後、20年後、私は恋していられるのかな・・・。
自分自身に恋心がなくなったら、それはそれでいいのかもしれませんが。
あるいはいくつになっても「諦めきれない」自分の性欲や恋欲(?)に
惑わされていたりして・・・。

亀山早苗 2009年08月02日(日)22:22

最近、日本では「甘みを抑えた甘いもの」が主流ですよね。
でも、私は甘いものはとびきり濃厚に甘いほうが好き。
ザッハートルテは思い切り甘く、思い切り苦いコーヒーとともに・・・。
うう、懐かしい。ウィーンに行きたくなってきました。

東京も、一見、ぶっきらぼうだけど親切な人が多かったんですよ、その昔は。
特に下町では、家に帰ると知らない人が留守番してたりして・・・。
わけわかんないような環境でした。
鍵かけて出かけるようなことは、まずなかった・・・昭和30年代。

下町が、代々地元の人たちが住んでいる場所ではなくなり、
新興住宅街ができて、団地やマンションが増えて・・・。
人のありようも結びつきも変わってきました。
東京は、いつもみんなが無愛想な顔して、
ぶつかってもにらみ合って去っていく・・・そんな町になってしまった。
私はなんだかんだ言っても、東京が好きなので、
今の殺伐としたこの町を思うと、とても悲しいです。

地域社会の大切さが最近、叫ばれていますが、
それは枠組みを作って、みんなして気を遣って
その中でなんとかやっていこうという取り組みですよね。
本来はもっと自然発生的なものなはずなんですが。
やむを得ないんでしょうけれど。

亀山早苗 2009年08月03日(月)00:22

ごんさん
そういう話を聞くと、ほっとします。
人情がなくなったら、世の中、真っ暗闇ですからねえ。
でもやっぱり、東京の人たちの顔は、
ここ二十年くらいでやたらと険しくなっているような気がします。

ただ、もともと関西圏の人たちと、人と人との距離感は違うなと思います。
学生時代、初めて大阪出身者と話をしていたら、
「自分、どう思う?」と聞かれ、この人、なんで自分にツッコミ入れてるんだろうと
わけがわからなかったことがあります。
相手を「自分」という、その表現ひとつとっても、人との距離感がわかりますよね。
ま、江戸っ子はもともとシャイで、かっこつけてますから・・・。

亀山早苗 2009年08月03日(月)22:21

あー、HANAさん
たぶん、私の言う「攻撃的」と、一般的に言う「更年期女性が攻撃的になる」というのは
少し意味合いが違うと思います。
私が書いたのは、女性ホルモンが減って男性ホルモンの働きが活発になるから
攻撃的に(というか、男性ホルモン特有の攻撃性、悪い意味ではなく)なり、
男が女をナンパしたくなるように、女性が男を性的に襲う・・・ということです。
しかも、真偽のほどは定かではない、と書きました。
ちょいと冗談交じりの話です。

一般的に言う、その年代の女性が攻撃的になるというのは、
女性ホルモン減少にともなって、心身の調子が悪くなり、
結果、性格的に攻撃的になるということじゃないかしら・・・と思われます。
それがアルツハイマーにつながるとなると、冗談じゃすまない話ですよね。
私が軽く書いた意味合いとは、まったく違うので悪しからず。
すみません、ここを見る人がみんな婦人公論を読んでいるわけではないので、
誤解が生じると困るので・・・。

7月27日〜

新箱です

亀山早苗 2009年07月27日(月)03:29

7月最後の週ですねえ。
梅雨があけない地域もあけた地域も、身体にきつい気候が続いておりますが、
気をつけつつがんばりまっしょ。

亀山早苗 2009年07月27日(月)22:14

HANAさん
「女として自信のあるなし」とは関係ないと思います。
自信がないからこそ、私のように焦るのかもしれないし・・・。
おそらく男女関係の中で、性を重視するかしないかということなんでしょう。
でも、男女である限り、私は意識せざるを得ないと思っていて、
セックスアピールのやりとり、色気の感じあいが、恋愛という花火を生むきっかけに
なるのではないかと感じているんです。

同性である女性を見て、色っぽいな素敵な人だなと思っても、
「恋愛感情」は抱かない。性的なものが刺激される感覚もない。
これは私が、たまたま同性愛的感覚をもっていないからでしょう。
でも、男には感じるわけですよ・・・。
恋愛感情以前に、性的刺激を受ける。
性的刺激を受けたからといって、好みの男とは限らなかったり、
あるいはつきあってうまくいく関係ではなかったりもするわけですが・・・。
まあ、そのあたりがスムーズにいかない感じというのは、
若いころからありましたねえ・・・。

亀山早苗 2009年07月28日(火)23:06

枯れなくちゃいけないわけではない・・・。
確かにそうなんですよね。
ただ、ここには大きな問題がいくつかあります。
「女として見てもらえるかどうか」「女として賞味期限が来るのではないか」という
ある種の恐怖感や焦燥感は、性欲とは近いけれど違うものなのです。
性欲のみであるならば、それはひとりで処理するなりなんなり、
対処のしようがあるかもしれません。
ただ、女性の性欲には、やはり対象が必要なのです。
そのために、恐怖感や焦燥感にさいなまれる。
「枯れようと思わなければいい」という問題では片づけられないのです。

もうひとつは、女性が常に「客体」としてさらされている問題。
ある意味では、女性の商品化を女性が肯定するのか、と怒られそうな問題ではありますが、
私に限って言えば、やはり「客体」としての自己を意識せざるを得ない。
それは、性の対象としての客体も含む、ということです。
人間は、自分を客観視することはできます。
ある程度、社会の中で揉まれていれば、自分という「主体」を、
世間の常識なり世間体なりと照らし合わせて「客観視」することができるのです。
「私は自分を客観的に見られます、あなたとは違うんです」とキレた元首相もいましたね・・・。
ただ、性的なことを考えたとき、自分という「客体」を主体的に判断する、という必要に
迫られます。
これは非常にむずかしいのです。
女としての自分を客体視し、なおかつそれを主体的に判断・評価する・・・。
ましてや「男の目から見たら」という条件がついたりしたら、
判断・評価は非常に厳しいものになります。

そんなことを考えずに、自分は自分、と思えればいちばんいいのでしょうけどね。
考えると迷路です。
混沌としてきます。

亀山早苗 2009年07月29日(水)02:48

上記の件、誰かに反発したり議論をふっかけたり・・・というものではありません。
現在の私の公私ともに最大のテーマなので、ちょっと考えを整理する意味でも
書いてみました。

びょんほんさん
かぶってごめんなさい。
そう・・・年齢によっては、「これが口説かれるの最後かも」って
思ったりしますよねえ。
それがどんどん切実になっていくのが、年をとる・・・ということかもしれません。
もちろん、50代でも60代でも恋をしている素敵な人たち、男女問わずいるのは
わかっているのですが、自分がその範疇に入れるかどうかはわかりませんし・・・。
もちろん、恋などしなくても素敵な人もいます。
「人として」「女として」どう生きるべきか・・・。
それは必ず一致するものなのか、別々に考えて理想的な生き方があるのか・・・。
主体的に生きたいけれど、「必要とされて」生きることも人間には大事なのですよね。

亀山早苗 2009年07月29日(水)02:50

三連投失礼。

なでしこさん HANAさん
私も同じ本を二度買うのはしょっちゅうです。
さすがに新刊はそうでもないけど、文庫はよくありますね〜。
本棚がぐじゃぐじゃで探せないから買ってしまうこともありますが・・・。
同じCDを買ってしまったこともあって、
本よりそちらのほうがショックでした。
物忘れに関しては昔からなので、あまりショックを受けなくなっています。えへ。