最近の日記

5月29日〜

新箱です

亀山早苗 2009年05月29日(金)03:33

できれば肉親に、殺意に近い憎悪なんて抱きたくはない。
誰もがそうでしょう。
でも、抱いてしまうケースもあると思います。
そんな自分を責める必要もないはず。
黙って離れる。
それしかないのでしょうね。

私は父の死に目には、わざと会いませんでした。
それが私の父への気持ちだった。
育つ過程で、父への殺意を抱いたこともあります。
ただ、母を思うと、私が犯罪者になるわけにはいかなかった。
父が死んだとき、悲しくはなかったし、自分を責めもしませんでした。
しばらくたって、「父とはまっとうな関係を築けなかった」と思ったけれど、
それはそれでしかたがなかった、と思うしかなかったのです。
よく、「死なれたら後悔するよ」と言いますが、
そんなこともありません。
ただ、死んでしまえば仏様ですから、ときには墓参りもします。

「父と母」がいなければ、この世には誰も生まれない。
だけど、必ずしも「産みの親」とうまくいくとは限らない。
それだけのことです。
それに対処していくしかありません。
あまりウエットに考えないほうがいい・・・と私は思っています。

5月26日〜

新箱です

亀山早苗 2009年05月26日(火)07:25

新型インフルエンザ、恋にもいろいろ影響を及ぼしているのですねえ。
私なら別に気にせず、行ってしまうと思いますが・・・。
感染した人が謝らなければいけない雰囲気は、おかしいです。
どこにいたって感染する可能性はあるのだから・・・。

ライオンさん
作品完成、おめでとうございます。
3ヶ月かけて完成、すごいなあ・・・。
完璧に満足できるものなんてできないけれど、
それに近づいていけたらいいですよね。

あ、スペイン語はあっさり挫折しました。
どうも「毎日こつこつ」というのは
性に合わないようで・・・。
メキシコドラマには相変わらずはまっているのですが・・・。

バルセロナといえば、サグラダ・ファミリアを思い出します。
いつになったら完成するのか・・・神のみぞ知る、ですね。

亀山早苗 2009年05月28日(木)00:08

white gateさん
落ち着いてくださいね〜。
ご主人がわかってくれている・・・それはとても大きいことですよね。
white gateさんが死んでしまう必要なんて、まったくない。

私は別に、親子の縁を切ったっていいと思います。
たまたま親子になっただけなんですから。
だからといって、それいゆちゃんがwhite gateさんと縁を切ろうなんて
思うはずはありません。
自分がそれいゆちゃんの立場なら、大きくなってから、
「お母さんとおばあちゃんは反りが合わなかったんだなあ」と思うだけですもん。
説明する必要もありませんよ。

実は私も、詳しくは言えませんが、近い親族のひとりと絶縁しています。
会う気も話す気もありません。
その人が飢え死にしても、私には関係ありません。
冷たいと思われようがかまわない、と思っています。
殺してやろうか・・・という気持ち、だからすごくよくわかるんです。
ただ、殺すくらいなら、関わらないでいたほうが賢明です。

5月20日〜

新箱です

亀山早苗 2009年05月20日(水)05:16

ごんさん
お疲れさまです〜。
無理しないようにがんばってください。

ロダン、本当に最後まで援助し続けたのかどうかわかりませんが、
(私の知りうる資料では、そうも思えないところがあって・・・)
ただ、彼の心の中には、常に彼女のことがわだかまり、もしくは自身の傷として
残ってしまったのだろうなあと思います。
仏教では、死に顔にすべてが出る・・・なんてことも言うようですね。

生きてきたように死んでいく・・・怖い言葉です。

びょんほんさん
「あの決断は間違いではなかった」と思えるようにしなくては・・・。
すべてはびょんほんさんが決めたことなんですもん。
「取り残された私」なんて母親が思っていたら、
娘さんにとっては負担になりますよ・・・。
明日に向かって、がんばってくださいね。

亀山早苗 2009年05月20日(水)21:08

HANAさん
「せつない」という言葉のニュアンスが、たぶん違うのでしょうね。
私はロマンティックな意味で言っているのではなく、
むしろ、そういった脳をもつ人間の「やるせなさ」を言いたかったのです。
ずっと思っていようが、無意識の範疇に押し込められていようが、
ロダンが最期に「パリに残してきたほう」と言ったのが事実であるなら、
カミーユの存在は、彼の脳にしっかり焼きついていたわけで・・・。

脳の機能、しくみの解明は日進月歩でありながら、
まだまだ全然、全容をつかめていないそうです。
それだけ複雑なんでしょう。
惚けてはいないと思っている私でも、意識の下に押し込めていること、
あるいは無意識の範疇にあることが、たくさんあるのだろうなと思います。
生きてきた年月の分だけ、脳はさまざまなことを刻んできたわけで、
それがむしろ、意識の下にあって、日常では出てこないのに、
ふとした瞬間に出てくる・・・そういうことは、とてもせつないしやるせない。

たとえば、香りの感覚。
嗅覚は脳に近い分だけ、記憶されやすいそうですが、
ふとした香りが意識されたとき、誰かを思い出したりします。
それまではまったく記憶していなかったとしても、
香りによって、たとえば昔、好きだった人を思い出す。
そういうとき、私自身はとても「せつない」ものを感じます。
日常的に意識の上にあった人のことを思い出すよりも・・・。

人間って、意識上だけで生きているわけじゃないんじゃないか、とも思ったりします。
無意識の範疇に何が埋まっているのか・・・。
潜在意識といってもいいのですが、
実は自分自身のことだって、知らないことのほうが多いのではないか・・・。
意識的に動くときもあれば、無意識のまま流されることもある・・・。
無意識で流された結果、自分の中にあった潜在意識が引き出される可能性もあるかもしれない。
自分の「意識」や「感情」のありようを
なるべく決めつけないほうが、人生楽しめるのかもしれないなあと思ったりします。
抽象的な言い方ですが・・・。

亀山早苗 2009年05月23日(土)08:14

HANAさん
同じ言葉でも、人が感じるニュアンスは違うものですよねえ。
話していれば雰囲気でわかったりするのに、
文字というのはむずかしい・・・。
本の文章なども、気をつけて書かなければいけないなと思います。

経験したことのない感情、感覚を味わうのは
けっこう楽しいことですよね。たまにそら恐ろしいこともあるけど・・・。
そのためには、やはり人間には「刺激」が必要なんだろうと思います。
他者だったり、本や音楽だったり・・・。

私は岩野泡鳴の『耽溺』(岩波文庫)
北原武夫『情人』(講談社文藝文庫)を立て続けに読みました。
男が女にのめり込んでいく過程、褪めていく過程の心理がおもしろいんですよねえ。
久々に、永井荷風も読みたくなりました。

新しいところでは、『テムズのあぶく』(武谷牧子 日経新聞出版社)を
人に勧められて読みました。
大人の恋愛小説、男女の真っ向勝負という感じで興味深かったです。