新箱です
亀山早苗 2011年02月04日(金)00:54新年なので箱も新しくしました・・・。
しかし・・・あっという間に1月も終わってしまいましたね〜。
思うようにはいかないな〜ということばかりですが、
何もかも思うようにいったら気持ち悪いし・・・。
がんばろ。
HANAさん、早苗さん、かわせみさん、ありがとうございます。
お話しいただいたこと、参考にいたします。
少し気がラクになりました。
かわせみさんの「子供の質問には全部答えないほうがいい」というのは、考えませんでした。
回りくどくても一つ一つ答えるのが親のあるべき姿勢だと思っていたので。
視点が意外で、夫にも、かわせみさんの書き込みのその部分は読んでもらいました。
子供の質問って、ホントに「?」が動機になっているだけではなく、
単に親に絡みたい、かまってほしい、困らせたい…というのもあるのかもしれません。
先日、NHKの「こころの時代」をDVDに収録し、今日観ました。
イラストレーターから尼僧になった方が出ていたのですが、
その方が紹介するダンマパダ(法句経)の言葉を見てびっくり。
確か「人々は、黙って座るものを批判し、多く語るものを批判し、ほどほどに(少なく?)語るものを批判する。世間に非難されないものはいない。」とか。
ブッダがすでに説法で話していたのに、いまだに人(私も含む)は、世間に振り回されているんですね・・・。
最近睡眠不足です、おやすみなさい・・・。
そうそう、いつでもどこでも何か人と違うことを言ったりしたりしたら、
何か言われる・・・そんなことは覚悟の上です。
「言いたいヤツには言わせとけ」って、昔からよく言われたな・・・。
私もちょいとヘンな子だったようで
(整列ができないとか、黙っていなきゃいけないときに私語を交わすとか)
しょっちゅういろいろ批判されていました。
今だって、似たようなもの。
人から評価されようとは思っていないので、別にかまいませんが・・・。
子育てにしろ、生き方にしろ、理想を追求しようとすると、
理想と現実のギャップに、自分が押しつぶされそうになるのかもしれません。
あるがままに、すんなり伸ばしていく。
自分自身も、すんなり伸びていく。
縮むときもあるかもしれないし、思うような方向じゃないところへ伸びる可能性もあるけど、
それはそれでおもしろいんじゃないかなあ・・・。
私もしょっちゅう、親に「なんで、なんで?」と聞く子でしたが、
小学校に入ったある日、帰ったら百科事典がありました・・・。
うちの親、恐るべし・・・。
早苗さんのお母さま、本当に楽しいかたですね〜。
いつも、むふふっ♪って笑みを浮かべながら読んでいます。
white gateさん
死にたいと考えてしまう人が、積極的に生きたいと思えるようになるのは
容易なことではないように、私は思います。
でも、死ななくても何とかなりそうだ…くらいにはなれるかもしれません。
ずっと考えていたことを『考えたってしかたない』と言われたって、
混乱しますよね。
ゆっくり自分なりにまた考えてみてくださいね。
本当に、思うようにならないことだらけですね〜。
でも、たまにはいいこともあるし、美味しいものを美味しいと
感じられることは幸せだし。
ぼちぼちいきます、今年も。
横道にそれっぱなし!の私ですが、そのほうが面白かったかもしれません。
white gateさん
一人の人格として子供に真剣に向き合うというのは、本当に難しいことですね。
こっちが真面目に向き合えば向き合うほど、上からの目線に過ぎなかったりします。
子供と話していると、逆に頭が固くなってた自分に気づきました。
配水口へ流れていく水が渦を巻くことや、ジュースに浸したお布巾にジュースが登っていくこと、女はなぜいろんな言葉に「お」付けるのが好きなのかとか、なぜおまわりさんの言うことをきかなきゃいけないか、果ては歯磨きはなぜしなきゃいけないか・・・etc.
こういうのって、説明できそうで本当はとても難しいものです。
その驚きや感動を共有する方が、ずっと人間的対応だと思うのです。何より楽しいし。
人を批判することも同じこと。わが身を振り返ったらできることじゃないのに、自分だけの小さな価値観で優劣を測って押し付けてしまうのが人間の常なのでしょう。
世界は広い、いろんな人がいろんな考えや感じ方を持っていて当然。たとえ子供でも。
TVのアナウンサーは参考になりますよ。アナウンサーって、人にインタビューなんかする時、自分の知ってることをぺらぺらしゃべらないでしょ。相手の知識や感性をひきだすことが仕事ですから。
早苗さん
私、小学生の頃、春休みに百科事典の第一巻「あ〜あん」を読み尽しました。
で、熱出した・・・。
「あ」で始まるものなら何でも知ってると自慢したかったけど、結局たいした役には立たなかったです。
所詮知識は知識に過ぎないんですよね。
事典というのは読みふけるものではなく、必要な時に引いて役立てる物だとわかりました。
でも、いまだに引いた言葉の前後の項目も読んじゃいますけど。
HANAさん
誰でも死んでしまいたいほど辛い時ってあると思いますが、「私が死んでも、また朝は来る」って思うと、ちっぽけな自分の命が無性にいとおしくなりませんか。
その死に涙する人はいても、涙はずっと続くものではないし。
ローランサンの詩に「最も哀しいのは忘れられた女」という一節がありますが、死んでなお長く人の心と記憶に生き続けられる人は稀です。
それでもいつか、いやおうもなく死を前にしなくてはならないのが人間。
その時は、せめて次の朝が私の思い出で少しだけでもあたたかくなるように、そんな一生を生きたいです。
そこで、私が経験した笑える話やあったかい気持ちになれる話をまとめておいて、みんなに読んでもらおうかと。
え、もっと高尚な話だと思ったって? あはは。
さて、このサイトのサブブログ「宝箱」に、今月のテーマを載せました。
題して「最後の晩餐」。
お料理レシピばかりじゃつまんないから、食に関する話題も載せていきましょう。
食べることは、人生そのもの。
皆さんの投稿、お待ちしています。
かわせみさん
そうそう、結局、私、その百科事典、数回しか開けたことがない・・・。
読んだって頭に入るもんじゃないんですよねえ。
国語辞典は好きなんですけど。
「知識」というものに関して、私はけっこうコンプレックスがあります。
だって、な〜〜〜んにも知らないんだもの。
ときどき、一から勉強しなおしたいと思ったりします。
世の中の仕組みやら、「理科」やら・・・。
でも最近は、聞いたことさえ片っ端から忘れていくし・・・。
宝箱、ありがとうございます。
早速、投稿してきました!
こんばんわ〜。
ちょっと、 今日はひとやすみですぅ。
この間、韓国のバラェティをぼーと見ていたら(一応、ハングルの勉強のためです)
字幕に、「幸せだから、笑うのではなく、笑うから幸せになれる」と出てきて、
うーーーん、と思ってしまいました。
whitagetaさん
私は、子どもたちが幼いころ、疲れてくるとよく「風邪でもひかないかな〜」と
思いました。実際、風邪で寝込むとご近所のママ友が夕食をお裾分けしてくれたり、
迷惑をかけてしまいました。で、少しでも自分たち、家族だけでなんとかできるように
子どもたちに、ご飯の作り方を教えました。まず、お米の炊き方、カレーやシチューの
作り方を、暇なときに教え、洗濯機の回し方、干し方、などなど。
たぶん、あなたの「死にたい」と同じ種類のものだと思います。表現が違うだけのモノだと
私は思います。
あなたが「死にたい」という思考回路が動くのは、たぶん、ですよ。
あなたの中に刷り込まれた思考回路なのだと思うのです。
幼い子どもにとって、その場を逃げたい思いが、一番単純な言葉、という言い方は
失礼だと思いますが、「死にたい」だったのだと思います。
上手く自分の中の気持ちが表現できないときのモノが、余裕のない時に表に出てくるのだと思います。それが、もっと強く出てくるとき、(一慨に言えないのですが)自傷や他害、もしくは多重人格になる可能性がある人もいると思います。
「死にたい」を「生きたい」と変換する必要が、あるのか、どうか私にはわかりません。
意外とそのように思うことが、加圧をするようにも思います。
ただ、あなたの「死にたい」=「逃げたい」という気持ちは誰でも持っているモノだと思っていただければ、うれしいです。
早苗さん
私も何にも知らないです。特に人文科学系統のことや、世間の常識ってヤツ。
何でもくまなく知ってる人って、めったといないわよ。
なのに、私も昔は世間様が怖かったんですよね。
どんなに才能や能力があっても、それだけで人の上に立てるわけではないと思ったら、気が楽になります。
むしろ、頭打ちながら生きてきて、人の痛みもわかる方が、どんな知識より大切なことではないかしら。
ごんたろうさん
「笑うから幸せになれる」、いい言葉ですね。
笑いが免疫力を高めるという説もあるくらいで、人生に笑いが大切だというのは実感です。
真面目に思いつめてると暗くなっちゃうから、無理にでも笑っちゃえば転換できることも多いと思うわ。
世の中、意外と笑いのネタって転がってるものだと思います。
うちの亭主、すごくたくさんの女性の名前をフルネームで知ってるの。それが、みんなTVのキャスターや天気予報のおねえさん。なんだかとってもおかしくて、笑っちゃいます。
最近のうちの娯楽は、7時半少し前のNHKの天気予報。半井小絵さんというんだけど、とっても喋りが下手で、何ともいえないおかしみがあって、いつも大笑い。
時々、胸がやたらと大きくなるのに気づいたのもうちの亭主です。
NHKの半井さんは「7時28分の恋人」として、オジサマ方に人気なのだそうです。
以前、土曜のスタジオパークに出ていらしてて、そんなことが話題に出ていました。
あの2〜3分のために、ものすごく勉強しているのをその時見てびっくりしました。
ごんさんのおっしゃるとおりだとおもいます。
「ああもういやだ、消えてしまいたい」が「死にたい」になってしまうのだと思います。
今思い出しましたが、「死にたい」の他、自分をいたぶるであろう「実家の母のもとに帰る」と言って家を出ることも…。
都心のビジネスホテルとかユースホステルに泊まるとかだっていいじゃん、と振り返れば思うのですが、
なぜか「実家に帰る」なんですよね。
罵倒され、バカだの能無しだの散々なことを言われ、口汚くののしりあうのは目に見えているのに。
自分で自分を叩きのめしたくなるのでしょうか。
「笑うから幸せになれる」で思い出しました。
今、人気の漫画家の西原理恵子さんも、ガンで亡くなったご主人に「どん底でこそ笑え」と言われていたのだとか。
戦場カメラマンだったご主人は、戦地で、大変な状況にある人ほど良く笑っているのを見てきたのだそうです。
ただ、ご主人はアル中だったようで、西原さんがそんなご主人との生活を笑いの漫画にしたのを目にしたとき、ご主人は相当荒れたそうですけれど…。
人生経験豊かな方のものの見方、考え方を知るのはとても面白いです。
精神的なタフネス、いったいどこから来るんでしょう。
そうそう、最後の晩餐、私も書き込みしました〜。
最後の晩餐ってなぜか贅沢なものを望まないんですよね・・・。
ちなみに、どーでもいい話ですが、私、なぜかメインディッシュを作るのはすごーく苦手です。
副菜とスープとデザートと主食を作るのはなんともなくて、特に漬物とデザートは得意なのですが、
メインディッシュだけはどうしても苦手。
ゆえに、厚みのあるお肉のかっこいい西洋ろうりぃ(西洋料理の柳家小三治さんっぽい発音)は作れません。
やってみたいけど…敷居が高いわ(笑)。
かわせみさん
私、軟弱な人間なので、辛くてどうしようもない…までいかなくても
すぐに『死んじゃいたい』と思っていました。
自死なんて勇気がなくてできないのに。
今は、できもしないことを考えていてもしかたないと思うようになったので
あまり考えませんが、いつ死が訪れてもかまわないと、
消極的ではあるものの、『死』を常に考えています。
みんなが私を忘れてしまっても、そんなことはまったくかまわないのです。
ちっぽけな私はいつ消えてもいいし、遺影もいらないと思っています。
一週間後に死ぬと宣告されたら、ホッとするかもしれません。
ごんたろうさんが『死にたい』は『生きたい』の裏返しだと
先日、書かれていましたが(昨日は反対のことを書かれていましたが…)
私にとってはそのふたつは、まったく違うのです。
とは言うものの、生きている以外、どうしようもないので、
それなら、楽しいほうがいいに決まっています!
だから笑顔でいられるように…とも思います。
表裏一体ではないですが、自分ではそれでおちついています。
早くに最愛の男性(と思っている?父)と死別したことは
無関係ではないのかな…と感じます。
最後の晩餐かぁ〜。
宝箱をのぞいてみます!
何を…より、誰と…かなぁ、望みがかなうとしたら。
仏陀は、すべての煩悩を棄てれば、苦しくないと言われたみたいですが
私には無理!
やはり、いろんな意味で、私は普通の人間でしかいられません〜。
でも、とても参考になりそうなので、
今後も少しずつ、仏陀について書かれたものは読んでいきたいと
思います。
おはようございます〜〜。
whitegateさん
今朝も合気道に 行ってますか?
わたしも、一時ジムに通ったときに、先輩たちに
若い頃からやると身体が違うから、頑張って続けなさい、と
言われながらも、現在、その時間が上手く作れずに挫折しておりまする。
どうか、続けてくださいね!
私は、合気道は分からないのですが、攻撃の中には、
相手を攻める、攻撃。見るからに攻める形と
自分を守る、攻撃。相手に自分のテリトリーに入れない攻撃の仕方が
あると思うのですが、どうですか?
話変わりますが、、、、
たまにお母さんの元に行きたくなる、という衝動は、
たぶん、、、振り戻し現象、リバウンドのようなものだと思います。
「死にたい」と子どものころに思ったことの底には、(これは憶測ですが)
「死ぬ行為をすれば」母が心配し、構ってくれる、と幼心に芽生えたのでは、
ないでしょうか?子どもは、養育者の目を通して、世の中を見ようとすると
思うのです。自分が養育者に立場が、変わるといろいろな面で×や○を決断する
ことは、とてもしんどいと私は、思います。
たま〜〜には、親に甘えたいと思いましたよん。
また、第3者であるわたしが、お母さんを悪くいうこともお許しいただくと、
お母さんのこれまでの人生の選択枝を選ぶときに、「娘のために」という言い訳が
常々、存在したのだと思います。それが、あなたに重くのしかかっているのだと思います。
でも、この「娘のために」というのは、親の身勝手な言い分でしかないと思います。
それは、「母子密着」でしかなく、他の視点からでは子の成長を侵害しているものとも思います。
今、あなたがお母さんに背を向けている行為は、「母子分離」という大切な成長過程にあるとも
思います。
娘から結婚をし、母になり、まだまだこれからですよ。何もかも、最初から上手くいくはずは、
ありません。でも、若さはあるはずです。ホントに私からすれば、羨ましい限りです。
恐れずに、どうか思い切り生きてくださいね! 骨は私たちが、生きていれば拾ってあげましょう!!
Hanaさん
いやいや、「死にたい」は「生きたい」
という2つの選択肢しか持っていない、という
考え方になっているのだと思います。
「生きたい」けれど、・・・答えがないから
「死にたい」という感じですかね。
自分で自分に烙印を押すという感じです。
私は、とても気ままな奴です。
わがままで、手に負えないとも思っています。
でも、申し訳ないですが、そんな自分が自分だとも
思っていますから、思い切り落ち込むことも多々あります。
でも・・・・ふかーーーく考えないようにしています。
答えはいつ何時、どこからか落ちてくるか、分かりせんから。
疲れたときは、クールダウンし、テンションが上がり続けた時も
クーりダウンし、自分に刺激を与え、心も体もストレッチさせるように
木を使っています。
でないと、このリズムの取りにくい私の生活を穏便に過ごすことはできません。
まぁー、いつも元気印は ご迷惑をおかけしているのは、十分承知しておりまする。
white gateさん
へえ、半井さんオジサマに人気なんですか。なるほど。
あの訥々とした話し方が、不器用だけど一所懸命って感じしますから。
なぜかかわいいの。
メインディッシュは気負わずにちょっとカロリー高い物だと思えばいいのよ。
ロースト物は慣れれば楽でお勧めですよ。
HANAさん
そうか、私は死も他者との関わりの中で考えるけど、皆そうでもないのね。
本当に自分を消し去ってしまいたいというほどの自己否定は、まだ経験がないのです。
きっと根が楽天的なんでしょうね。
ごんたろうさん
うん、クールダウン、これは大切なんですよね。
真面目すぎる人は、ひとつのこと見つめすぎてしまうんだと思います。
死にたいほど落ち込んでる時でも、ふとよそ見できると気が変わりますものね。
かわせみさん
「メインディッシュがその日の晩御飯のすべてを決める!」
などと思うと気が重いんですよね。
納豆パスタにサラダ漬物なんて気がラクでいいんですけど…。
ローストもの…うーん、修行したほうがいいかなぁ。
肉焼くのは、ほぼ全部夫にお願いしちゃっているので(私はメインディッシュ放棄?)。
ごんさん
合気道は、あくまで「演武」(要は「フリ」)でして、試合はないのですよ。
本気で対決する柔道や相撲道、空手道とは違います。
だから、攻撃といっても、あくまでもフリだけ。
突きをする、正面打ちをする、腕をつかむ…など。
取りと受けというのがあるのですが、取りというのは技をかける人、受けというのは技を掛けられる人。
単に技をかけるのではなく、受けから攻撃をされた→取りが技を掛けて防御をする→受けが押さえられる(受け身になったり、うつぶせで押さえこまれたりする)…という具合です。
試合がないなら、何が目的なんだ…となりますが、合気道の目的は「相手を尊重して己を磨く」ことです。
レベルの高い人とレベルの低い人が一緒に演武をします。
ちぐはぐで無理があるように見えるのですが、
合気道は相手との調和を図ってこそ、技がきれいに決まるものなので、
レベルの高い人は、相手のレベルに歩み寄ります。
レベルの低い人は高い人に相手をしてもらうことで追いつこうと頑張るし、
レベルの高い人は、いろいろなタイプに柔軟に対応できる技の精度を磨き、なおかつ、相手を思いやることで精神的なレベルアップにつながります。
と、知ってるよーなことを書きましたが、以上は座学のアンチョコを見て書いてます(笑)。
ただ、相手を尊重する、思いやる、感謝する…といったことは事実です。
超初心者のワタシ、これまでいろいろな方に相手をしていただきましたが、
どなたもすごく親切に教えてくださり、毎回非常に恐縮し感謝しております。
自然と座礼にも心がこもるんですよね・・。
私、実家にいたとき、死ぬ行為をしても、母に心配してもらうことは期待できませんでした。
むしろ、むこうが先に死ぬ行為をしました。
小学校5年くらいのときかな、
「夕食が異常に多すぎる、食べきれない」と言ったら「お前なんか二度とメシを食うな」と怒鳴られ、家を閉め出されました。
それまでも、散々怒鳴られており、「もう家にいたくない」と思い、電車に乗ってどこかへ行ってしまおうと考えて近くの駅に行ったんですね。
でも、手元にお金はなく、駅の待合室でうろうろしていました。
母が探しに来て、一緒に帰りました。
「心配して探しに来てくれたんだ」
「もう怒られなくてすむかな?」
と思ったのもつかの間、家に帰るなり、いきなり包丁を2本持ち出してきて、私の膝の前に置き、
母自身は横たわり、大の字になって
「さあ、この包丁でお母さんを刺せ」。
私は、驚きと恐怖でわあわあ泣いてしまいました。
あれが何を意味するものなのか、いまだによくわかりません。
幼い時分は、「それほどに家が嫌なら母親である私を殺せ。そうすればお前は自由になる、どうだ、いいだろう」という意味か、あるいは「私はそれくらい命がけでお前を育てているんだ」という意味かと思っていました。
今は、違っていて、それほどの脅しをしておけば、恐怖で私をねじ伏せられるだろう、母の言うとおりになるだろう…と無意識のうちに感じていたのではないか、と考えます。
私自身、それいゆに対してそう思い、似たような行動をしてしまおうかと思う瞬間があるから。
そういう行為は、子供をコントロールするための手段に過ぎず、
「人を人としてきちんと育てる」ということにおいては、まったく意味がないのですが・・。
命がけのつもりであっても、それを子供に伝えるべきではないとも思います。
そういえば、やたらと母は、私が4歳のときから
「お母さんと一緒に死のう」とか「狂っちゃったほうが幸せだよね、何もわからなくなるんだもん」とか言っていました。
ガンになったときも「死んじゃったほうがラク」と言ってましたね。結局手術受けたけど。
何かにつけ、子供に向かって心配させるような言動、行動が多かったです。
私も、夫やこちらの皆さんに散々迷惑をかけているので、母のことは偉そうに言えません。
合気道始めて、100%ではないけど、平日、くよくよすることは減りました。
時期的にそろそろ忙しくなることもあるとは思います。
身体を動かすのは結構いいのかもしれません。
white gateさん
また、チョイ読みですが...m−−m
だいzy
新箱です
亀山早苗 2011年01月31日(月)01:541月も今日で終わり。
まだまだ寒い日が続きそうですし、
インフルエンザも今週がピークとか。
気をつけてがんばりましょう〜。
サッカー、おもしろかったですねえ。
李選手、親族に反対されつつも日本人になったとか・・・。
どちらの国にも恩返ししたい、なんて泣けます。
歴史は歴史として踏まえつつ、やっぱり近隣諸国とはうまくやっていきたいし、
文化の違いをもっと知って楽しめたらいいなあ、なんて思います。
連投失礼。
MVPは本田選手でしたが、隠れMVPは長友選手じゃないかなあ・・・。
なあんて友だちと話しています。
おんなじ大学出身ということもあって、どうしても応援したくなります。
HANAさんと早苗さんの書き込みを見て、
「確かに、なにかにつけ、意味を見出そうとしてるわ、私前後の世代」
とハッとしました。
「自分探し」というのがやたらと流行ったのも、今に始まったことではなく、
2000年前後の就職氷河期世代からなんですよね…(いやもっと前かもしれないけど)。
「アンタはこうよ」
「これはこういう意味なのよ」
と言われたところで「アタシはそんなに幅が狭くなーい!」と反論するのがオチですし。
意味づけを求めるくせに、決め付けられると腹立たしい…。
生きる意味だのなんだのをあまり考えない、考える必要性のない世代と、
何かにつけて意味づけを求める世代の、その違いは一体何が原因となっているんだろう。
純粋な疑問です。
どうでもいいことですけど、スピリチュアルが流行るのも、意味づけの一環なのかなぁとふと思いました。
占いなんかで「これはこうなる」といわれると、一時的に安心する・・とか。
所詮は自分で考えて行動するしかないんですけどね。
合気道、昨日、朝のけいこに行ってきたんですが、すこしからだが慣れてきました。
でも、手の細かい動きが難しい。
センパイ方に伺うと、「考えているうちはダメだよ」とのことでした。
動きはまだまだですが、集中していると雑念はなくなります。
夫の実家(畳があるので)に行って前受身の稽古、
自宅で布団の上で前受身と後ろ受身の稽古…。
肩にアザができました。
お風呂のときに
「どーして肩がまっかっかなの〜?」
と聞かれ
「合気道の受身の練習をしたからだよ。いっぱい打つと赤くなるの」
と答えたら
「どーしてうけみのれんしゅうをするとアザができるの〜?」
と、質問延々・・・・。
3歳児の質問力には勝てません。
いや、考えないのではありませんよ〜。
いろんなことを考えます。穴があくほど。
でも、考えてもどうしようもないこともあると、思えるということです。
私も若いころ、『どうして私は存在しているのか』は考えました。
でも答はわかりませんでした。
すべて(とまでは言わなくても…)のことに意味があるわけじゃない
あるいは意味はあったとしても、わからない、
そんな曖昧なこと、ものがあっても不思議ではないと思う。
ということだと思います。
自分のいる意味なんて…。
私はそんなにえらい立場でもないし、有能な人間でもないから、
私がいなくても、世の中はちゃんと回っていきます。
だけど生まれてはきたのですよね。
存在意義なんて、あってもなくても。
あとは自分がどういう生活をするか、したいか。
それだけの話なのではないかな〜と思います。
誰も私に注目しているわけじゃないのだから、
好きにしていればいいのです。
小さい子どもの『どうして』攻撃、最初はおもしろくて
相手をしていても、最後には『んもぅ〜!どうしてもっ!』って
言いたくなります。
でも、それだけ知恵がついたということです。
かわいいけど、うるさい!お年ごろですね。
サッカー、週があけて選手たちが帰国して
まだまだ感動さめやらず…という感じですね〜。
昨日も今朝も、サッカーの話題がテレビをにぎわせています。
私はほとんど興味をもっていなかったスポーツでしたが、
このところの日本チームには、ワクワクします。
個人技もさることながら、チームの仲間『みんな』で…という意識や
仲間を信頼することで、いろんな力が湧いてきていますよね〜。
早苗さんが書かれていた長友選手、何やらとっても有名なチームに
電撃移籍が決まったそうですね。
ほかの選手たち、試合に出られなかった選手たち…みんな素敵!でした。
月がかわって、今日は暖かくなるそうです。
寒い1月、長かった〜。
ちょっとホッとします。
早苗さんも、今日のお出かけはストッキングでも寒くないかもしれませんね。
長友、インテル移籍!! すっご〜い!!
レギュラーがとれるかどうか、がんばってほしいものです。
左のサイドバックでレギュラー獲得となり、活躍できたら・・・うれしいですぅ。
そうそう、サッカーでもバスケでも、シュートを決めた人だけがエライわけじゃなくて、
そこに至るまでつないだ人、守った人、みんなすごい仕事をしているんですよね。
お互いの信頼感がなければ、チームプレイはできない。
それぞれが尊重しあわないとゴールに至らない。
そういう意味でチームプレイは、見ていて楽しいです。
white gateさん
私も悩みましたよ〜、高校入学当時から20代前半、本当に苦しかった。
自分の生まれてきた意味、存在について悩み、苦しみ、
哲学書や文学を読みあさり・・・でも答えが出ず・・・。
暗かったな〜、あの日々は。
それは青春時代の悩み、と言われるものそのもので、今思えば、
青いなあと笑えるのですが、じゃあ、あの日々に回答が出ているのかと
言われれば、答えようがありません。
ただ、HANAさんと同じように、そんなこと考えていても答えは出ない。
自分がやりたいことをやるしかないんだ、というふうになっていきました。
その後、仕事や私生活でいろいろな人と交わり、話していく中で、
今、私が思うことは、「自分のことだけ考えていても、自分のことはわからない」ということ。
他者に交わっていくうちに、自分のこともわかっていく。
ところが、自分のことがわかるにつれ、それって何? 別に自分のことがわかったって、
何ができるわけでもないじゃん、と思うようになっていきました。
これからは、自分が楽しめてなおかつ、他人の役にも立つようなことができないかなあと
考えています。
存在について考えるのはいいけれど、そこに「価値のあるなし」という基準を
持ち込むことは意味がないと思います。
だって、すでに存在しているのですから。
心底、「自分がいていいのだろうか」と思っている人間は、
恐怖感で子どもをもつことはできません。
子どもをもったということは、すでにwhite gateさんが
自分を認めているという証拠だと思いますよ。
もっと自信をもっていいはずです。
連投失礼。
「自分探し」という言葉が本格的に流行したのは、
バブルが弾けて以降かもしれません。
ある人が、「ねるとん世代」の自分探しはブームに過ぎなかったけれど、
「あいのり世代」のそれは深刻だった、と書いていました。
私はおそらくねるとん世代ちょいと前だと思います。
就職氷河期だって、バブル崩壊以前だって、何度もありました。
だけど、誰も「自分探し」なんて言わなかった。
あれは、なんだか言葉の綾みたいなものに、
みんながひっかかっちゃったような気がしますね〜。
「癒し」も同じですけれど・・・。
「癒されたい」だの「感動をありがとう」だの、
気持ちの悪い言葉が流行っていて、なんだかな〜といつも思っています。
人は時代の空気を無関係には生きられない、というのが持論ですが、
なんだか気持ちの悪い言葉には、騙されないようにしようと個人的には思います。
この10日間ほど、ひどい風邪で寝込んでました。
インフルエンザはワクチン打ってたので安心してたのに、ただの風邪でこんな苦しむとは、とほほです。
white gateさん
少し落ち着かれているようで安心しました。
声を抑えて話すということの意味、実は少々違うんです。
どんなに静かに話しても、相手のフィールド内で対決しちゃ効果ないの。
静かに語るべきことは、自分の感情や想いです。支離滅裂でも何でもいいの。
子供がただこねてる横で、ただ、「お母さんは悲しいわ。とっても悲しくて、ご飯作る気力も出ない。」なんてね。
対決モードに入っちゃったら、特に子供はその勝敗にしか目が行かなくなっちゃうのね。
相手が自分の大切な人なんだってことも忘れちゃう。
ご自分の気持ちを率直に表現することで、相手に自然と気づかせるのが一番だと思うのよ。
子供の質問攻撃も、簡単に答えを与えないほうがいいです。辞典代わりにこき使われちゃうわよ。
子供が自分で答えを見つけるように誘導しましょう。
質問をそのまま返す形がいいと、よく言われます。
「どうして○○は××なの?」
「○○は××なの? それいゆちゃんはどう思う?」
って具合です。
子供の質問って、実は案外奥が深いものが多くて、正確に答えられる大人って少ないです。
なぜ受身をすると痣ができるか、それだけのことでも、大人にとっては当たり前ですむけど、じゃあ、痣ってなに?
大人は教える側だと思っていると足を取られます。
一緒に考えてみようとすると、結論出なくても子供も納得できるんですよね。
昔、TBSラジオが「全国子供電話相談室」ってのをやってました。今もあるかしら?
自分の存在の意味、思春期にはよくはまるテーマですよね。
でも、自分探しってのはもっと年齢がいってからはまるものだと思ってました。
スタートするための方向付けと終盤の纏め上げって感じで。
最近はそうでもないのかな・・・。
まあ、どちらもそれだけの余裕がある人のやることだと、私は思ってたけど。
その日その日をがむしゃらに生きてると、そんな余裕ないかったような気がします。
いや、実はそういうおつむがなかっただけかな。あはは。
かわせみさん
大丈夫ですかあ? 今年は寒かったから・・・お大事にしてくださいね。
そういえば私の母は、声を張り上げることがありませんでした。
私がキーキー泣いたりしてると、にこにこしながら、「お上手わね〜」って
言っていたそうです。
私は「お上手くないもん!」ってごねてたらしいけど、
そのうち、子ども心にばかばかしくなってごねるのをやめたようで・・・。
子ども電話相談室、懐かしいですねえ。
無着声恭さんの声と顔が浮かびます。
年齢がいってからの自分探しは、またちょっと違うのかもしれませんね。
青春期の漠然とした悩みよりは、もう少し具体的な感じがします。
私も、そろそろまとめを考え始める時期かな〜と思っていますもん。
確かに、必死に動いてないとご飯も食べられないという状況にある人にとって、
存在意義なんて考える暇はありませんね。
私は、林芙美子が、久々に、熱い秋刀魚をご飯に乗せて食べたとき、
「もう少し生きていてもいいかと思った」という話が大好きです。
そういう人は強いです。
書きっぱなしですみません。
読んではいるのですが、なかなか書けなくて。
white gateさん、HANAさん
ありがとうございます。
すぐ辞めてしまったりいろいろありましたが、
拘った甲斐があったなと思います。
早苗さん
私、仕事することに固執してない人だと思っていたんですけどね〜
稼ぐ必要がなかったら、専業主婦でも窮屈に感じなかったし。
仕事して人と関わる楽しさを知ってしまったからでしょうか。
自分にも自信持てますし。
長友は本当にいい選手ですね。インテルに移籍って話にはぶっ飛びましたけど^^;
あのスター軍団の中でどうやっていくのか、楽しみですね。
日本でJリーグが発足して、幼い頃からサッカーが身近にあるという環境で育ってきてる人が
どんどん増えてきて、確実にレベルアップしてくると思いますよ。
長友のような骨のある選手は少ないかもしれませんけど。
南アフリカW杯で何かが変わったという片鱗は見えてきてましたけど、逞しくなりましたね、日本。
選手達のチーム力、ザッケローニ監督の采配も素晴らしいです。
声を荒げずに・・真剣に夫に、別々に暮らした方がいいんじゃないか、という話をしたら、
ケンカの時とは違って、向こうも真剣に聞いてくれましたよ。
夫くんの答えはNOでしたけどね。
悪いところは直していくから続けたいと。
私は譲歩してまで続ける気力がもうなく、娘と気楽に暮らした方がいいと思ったのですけどね。
夫が頑張るというなら・・それを見ていこうとは思います。
早苗さんの子ども論、私もわかるような気がします。
私は産むことになりませんでしたが、
産むということに対しても、考えた時期がありました。
私の遺伝子(夫も含めてですが)を受け継ぐ子というのは
少なからず似ているのだろうなあ…と思うと
言葉がうまく見つかりませんが、ちょっと拒絶に近いきもちもあって。
それだから神様は私には産ませなかったのかな〜と
漠然と思ってみたりもしました。
子どもって、結婚すると当たり前のように産む人が多いようで
そこまで考えないのでしょうけれど、
それはそれで、無意識に自分を認めていることかな〜と思うと
子育ても、悩みながらも『私もこんなだった』などなど
思ったりしながら、全うできると思うし、してほしいとも思います。
かわせみさん
どうぞお大事に。
インフルエンザの予防接種をしていてもインフルエンザにかかるそうですね。
ただ、重症にならないだけ…だとテレビで言っていました。
私は注射だいっきらい!なので予防接種はぜーったいに
しませんが、インフルエンザにかかったことが
一度もないのです。
おトクな体質なのだと思います。
ちょっと暗くしてしまいました…。
white gateさん、仏陀は『生老病死』のどれもが苦だと
言ったそうです。
私はどんな宗教も信仰してはいませんが、
仏陀には興味はあります。興味があるだけで、知りはしませんが。
今、本屋さんなどで並んでいる『一個人』という雑誌が
仏陀のことを書いています。
数百円ですから、ちょっと読んでみてはいかがでしょう。
大昔の人も同じように悩んだり考えたり、苦しんだりしてきて、
それぞれがそれぞれの方法や度合いで
何とか自分に言い聞かせたりしてきているのが
生きることをはじめとしたことなのだと感じます。
自分だけじゃない、ということですね。
今日は節分、鬼は〜外〜!で、
いいこと、楽しいことがたくさんの一年になりますように。
旧暦で、今日が一年のおしまい、季節の分かれ目なのだそうです。
いや、HANAさん
私も自分の遺伝子を残すことに、やけに拒絶感がありました。
結婚したら子どもを産むものだ、と素直に思えればよかったんですけどね・・・。
生病老死 愛別離苦、合わせて四苦八苦。
どうせ人生、どう生きたって四苦八苦じゃないでしょうか。
だからこそ楽しみたいです。
新しい1年の始まり〜ですね。
新箱です
亀山早苗 2011年01月27日(木)01:01冬眠したいくらい寒いですね〜。
な〜んて言いながら、HANAさん、
相変わらず私は、タイツもパンツもブーツもはかずにおります。
ストッキングにパンプス派です。
町ではあまり見かけない・・・。
それでも建物に入ると暑いです。
暖房しすぎじゃないかな〜、どこもかしこも。
しつこいようですが、
産まれた時からある程度性格が決まっているなんて、ほんと今まで
そんな事考えもしなかったです。色んな人と話をするのは面白いですね。
いろんな角度からの意見が聞けて。
ここ数日、彼女とは、あまり接触もなく気持ちも平和です。
わたしも気づく人間でありたいです。
今日、日本の友人から雑誌と耳かきが届きました!
耳かきは「何か欲しい物がある?」っと聞かれお願いしました。
耳かきしかも2本!!
日本から持って来たやつ、1本無くしたんですよねぇ。
さっそく耳かきしました。あーーーー幸せです。
日本文化ばんざい!
早苗さん、
こっちで一緒の子もスカートの下にタイツもストッキングもはかないんです。
−10℃までなら生足で大丈夫だそうです。
私は冬、ストッキングにパンプスなんて考えられない!です。
パンプスはける時は、やっと春が来たのねって思えます。
ライオンさん
私は性格が「決まっている」と思っているわけではないんです。
ただ、「もって生まれたもの」はあるだろうなあと個人的には思っています。
同じ日に生まれて、同じように育った双子だって、性格違いますからねえ。
あとは個人の察知能力、とでもいいましょうか。
それは後天的に努力したり、たとえば本を読んで己を振り返ったりしながら
できていくもの、もあるでしょうね。
出会う人によっても、人間は変わります。
耳かきかあ・・・。
日頃、そんなに意識してないけど、
そちらの人は耳かきしないのですか?
拭くだけ?
私は嫌なものは嫌だなあ・・・。
自分と関係がなければ、嫌なもの(人、ものごと、すべて)を
観察して楽しむこともできなくはないですが、
自分と何らかの関係があるのなら、さっさと逃げます。
う〜ん、確かにねえ‥‥。
そやけどしんどい時間の中に宝落ちてませんか?
性格は生れながらのものって、私、実は周りの女たちが非常に性格悪かったもんでw
父もきっつい言葉吐いてましたからw
苛烈な体験から生れた持論なんですwwwww。
で、あきらめたんですね。距離とりました。
それが凄いえげつない方法やったんです。そこまで自分性格悪いかってくらいにww。
彼女たちのこと書いてネットに流したんです。
大人しくなりました。つーか長姉なんて逃げましたw。
あんたとしゃべったら書かれるって。
そーだろーなー ( ̄σ~ ̄) 。・・
ま、やられっぱなしじゃだめってことでw。
white gateさん、私と被ってしまう・・・
皆さんの書き込みを まとめて読みましたが・・・(最近、ちゃんと読んでないので・・・)
カウンセリングは、続けておられますか?
私達みたいな生き方をしてきた人間、本当に、しんどいですよね〜(泣)
今、生きている事に感謝ですよ〜^^
凄く、分かる・・・
息を止めて、それいゆちゃんを思い切り抱きしめて上げて!!!!!
匂いが、色々な嫌な思いを導き出すから・・・。
大丈夫〜大丈夫^^v
頑張り過ぎないでね〜#(^^)#
本当に死ぬ気なのなら「首吊り」
発見者は、絶対、子どもでは無い状態にしてね〜。
ここまで書いたら、死ねないでしょう^^v
white gateさん・・・
私も、「何時も、死にたい」死にたい・・・
死ねない・・・
首吊り・・・止められ・・・
こんばんわ〜。
最近、とてもしんどい、支援がいくつも入り、
いろいろと考える、悩む時間が多く、
上手く、書けないかもしれませんが。。。。
Whitegateさん
嫌いは、嫌いなのです。私も。
ただ、嫌いになぜだろう?と考えるのです。
嫌い、ただ生理的に受け付けないのか、とか
嫌いに私の中に何があるのだろう〜。と考えると
ふーーん、こんな風にこの人を見ている自分と出会える。
たとえば、kさんは、誰か、えらーい人がこう言ったら、
「そうですね」とか、まるで自分の言葉のように話すんだ=、とか
このスピードが、苦手だな、と思っていたり。
あ〜〜〜この言い方が嫌いだなーと感じたり。
あ〜〜この人、これが自己顕示欲の部分を果たしているだーと思っていたり、
でも、わたしも持っているな!と思ったりね。
たまーに、その人に変化球でボールを投げてみたりね(笑)
ある意味、職業病かもしれません。
嫌いでも、ある程度好きでないと、、、相手を納得させられませんから(笑)
話変わりますが、
この夏、韓国の大学に通っていた娘が話していたことを思い出しました。
米、仏、独系のクラスメイトは、とてもクールだったと。
クラスメートの一人が、泣いていても、それはその人の問題。
遠足があっても、自分に興味がなく、行きたくないと思ったから、不参加。
自分がヘルプを出していない場合、ヘルプがきても、その人が勝手にヘルプしたから
「ありがとう」は必要ない、という感覚だった、、、と。
もちろん、そこには全部が全部ではないとは思いますが。
続投です。
330さん
死にたい、は反転すると「生きたい」だと私は思います。
これは、私の意見だと思ってください。
[死」ではなく
よければ、「生」の現場に少し足を踏み入れてみれば、
どうでしょうか?
なにかが,変わるかもしれません。
カウンセリングだけではなく、
動くことを提案します。
さて、 今日も 私にできることを
さがしてきまーーす!
ごんたろうさんのように、いつも前を向いていられる人には
死にたいは生きたいなのでしょうか。
私には、死にたいは生きたいではないのだけれど。
死にたくても、そう簡単には死ねないし、それだけの強靭な勇気も
持っていないので、相変わらず生きていますが、
それは、生きたいというのとは程遠いのです。
でも、どうせ生きているのなら、悲しかったり苦しかったり、
つまらなかったりするよりは、
楽しい、おもしろい、うれしいと感じたほうがいい。
それだけの話です。
死ねませんよ、いろんなことを考えてしまったら。
果たして、どう動けば生きたいに変われるのでしょうね。
個人主義は…
私は宗教には無知なので、よくはわかりませんが、
キリスト教などの国は、信じるものこそ救われる。
日本は比較的、大乗仏教で、信じていてもいなくても
みんなが救われますように。
ではないかと思いますから、
前者は自分、後者は全体を主体にする考えが影響しているようにも
思います。
本当がどうなのかは、しりませんが…。
嫌いなものを楽しむって、私にはわかりませんでした。
ごんたろうさんの書かれたことは、
嫌いか好きかを判断するプロセスのよう…。
お久しぶりです。
よい職場に出会い、充実した毎日をおくっています。
それでも最初の1週間は、2、3ヶ月に思えるほど長く感じましたねぇ。
娘は今塾に。夫は実家へ行ってるので、久々のひとり時間です♪
(ちなみに、夫は月曜に退院しました。)
会社へ行く楽しみもできました。うふふ。
まぁ、、心配するようなことは何もないです。
ちょっと会話できたりすると楽しいなって思うぐらいで。
好きだったら、全くしょうがないな〜ですむ話でも、
嫌なところがあると、同じことしても、なんでそんなことするんだ!と思ってしまう・・
娘と夫がいい例かな・・自分でも気づいています。。
養ってくれる人を選ぶくせに、割り切れない。ここが曲者ですね。
自立が無理と感じるとすぐ頼る。
あっちがよかった〜こっちがよかった〜とふらふら。
だから元夫のところに戻りたいとかいうセリフが出てきちゃう。
元夫に現実味を感じたら、夫との方が趣味が合って楽しいと言い出す。
こりゃあ完全に私自身に問題がありますね。
続けるかやめるか、はっきりさせないと夫にもみなさんにも迷惑ですね。
離婚したいなんてしょっちゅう夫にも言ってます。
本当に死を考えた時は、誰にも打ち明けなかった、
というか、打ち明けられませんでした。
屋上まで行って怖くてやめました。
私に自殺する勇気はないんだなとその時思いました。
子供がいる今は考えられない。逝けないです。
ここで終わりたくないって思う自分もいるし。
知り合いのいない土地、ずっと仕事が決まらない、
先が見えなくて絶望していたけど・・
あきらめずに合った職場に出会え、もっと楽しみたいという欲が出てきました。
悪いことはずっと続かないのですね。
おーーーー。びょんほんさん。
めちゃめちゃ前向き発言連発!!!
いい感じです☆
しかも冷静!
がんばれーーーーーーーーー!
なんだか私も頑張ろうと思います。
よかったね。
ライオンさん
私も後天的なものが強いかと思います。(タブララサ説)
苦手な人に出会ったら、多分その人には「自分がこういう風になりたくない!!」
という要素があるから余計に苦手意識が出てしまうのだと思います。
それにしてもライオンさんの書き込みにあった若い女性、私の妹にそっくりです。
人が不快に感じるような行為は平気でしてくるのに、自分に対して誰かから
そういった事をされると異様なほどまでの「私は何も悪くないのに被害者です」
という過剰反応を示します。普段の自分の言動を全く覚えていないのか?と
疑問を感じ、おかしい点はアドバイスもしましたが、話をすり替えて聞く耳を
持たないです。若いから自意識が過剰なのかもしれません…。
接していて非常に疲れるので、諦めてしまいました。
ライオンさんと同じくひたすら距離を置いています。その甲斐あってとても
心が楽になりました。わかりあえたらば理想で、いつかはわかりあえると思って
いましたが、わかりあえない人もいてもいいのだと思うようになりました。
ライオンさん、全く関係ないことなのですが、北欧の国々は合唱が盛んな
ようですが、鑑賞に行かれることはありますか?
ライオンさん
ありがとうございます。
仕事を始めて、気持ちが落ち着いたのかもしれません。
誰かに頼らない限り、生きていけない、と思い込んでいたし・・
やっとふらふらしてた足がしっかりしてきました。
知り合いのいない土地で、ソリの合わない相手と過ごすという意味では
ライオンさんと共通しているのかなぁ・・^^;
私は、今は職場という別の場所ができて、息を抜けています。
夫くんに怒るところって、相手のことを考えずに行動することなんです。
若い人すべてではないですが・・以前夫世代の人とよくチャットをしていて、
自由気ままだなぁ・・と驚くことがよくありました。
娘もそういう傾向があります。
こっちに怒らないけど、気まま。ぶつかることが嫌みたいな・・
もちろん気配りのできる若い方もたくさんいらっしゃいますけどね。
読み落としていたらすみませんけど、いつまでそちらにいらっしゃるのかな?
先が長いと、ちょっと辛いですよね・・
びょんほんさん、新しい職場を楽しんでいるようで何よりです。
がんばってくださいね〜(^^)
ごんさん、お返事ありがとうございます。
職業柄、一歩引いて観察するという姿勢が身についていらっしゃるんですね…。
清濁併せのむ、という印象を受けました。
330さん、ご無沙汰です。
励まし、いろいろありがとうございますm(_ _)m
私は、昨年末、自殺念慮がかなりひどかったです。
そのことを、かかりつけの精神科医に話したのですが、
話している中で、どうも私の思考回路には「つらい→逃げたい→死ぬ」というショートカットができているみたいなんですよね・・。
普通だと「ああ、もう逃げたいなぁ」と思っても、さらっと誤魔化したり流したりするところを、
そうは出来ずに「死」に結びつけてしまう。
いざ死のうとしても飛び降りることができなかったのは、
家族の今後がいろいろ思い浮かんだからです。
私が死んだら、それいゆとるなは、保育園で噂されたり、いろいろつらい思いをするだろう。
家族はここには住めなくなる、住むにしても住みづらくなるだろう。
死は、少なからず周囲に面倒をかけますが、自殺は面倒というより迷惑がかかるものだと思います。
「周囲のことばかり気にして、自分自身に生きたい理由はないのか」
と自問しますが、それはよく分かりません。
自分自身に理由を見つけるのが怖いか面倒かのどちらかであるがゆえ、周囲を生きる理由にしているのかもしれません。
今日は、合気道の講習会でした。
いつもは日曜の朝だけなのですが、今日はエライ人が来ての稽古。
も〜、全然ついていけませんでした。
やー、経験者の方々に迷惑いっぱいかけちゃった(汗)
懇親会のとき、いろいろ教わりましたが、先が長そうです。。。
とりあえず、このあと、筋トレと柔軟がんばりまーす!
生きるのに理由なんて必要ですか?
自分で生まれたくて生まれたわけでもないし、
理由なんてあるのでしょうか。
生まれてしまったから、死ぬまで生きる。それだけの話のような
気がします。
だから『人生、死ぬまでひまつぶし』なのかもしれないですね〜。
自分の存在意義なんて、考えてもわからないでしょう。
要りますか?自分がいる必要性を確認すること…。
あまり考えすぎてしまうと、苦しいですよ。
力を抜いて、ぼーっと生きていればいいんじゃないですか?
これがズボラの発想かな〜。
びょんほんさん
お仕事、よかったですね。
がんばってください。
書き込み遅くなりました。
びょんほんさん、生き生きしてますね〜。
仕事はびょんほんさんにとって、生活のベースのひとつなのかもしれませんね。
単にお金の問題だけではなく、
ある意味で、精神的な支えのひとつなのかも・・・。
がんばりすぎずにがんばってくださいね。
私は「人生ってすばらしい」なんて言う気はさらさらないのだけど、
それでも、生きてりゃおいしいと思うこともあるし、
つい笑っちゃうこともある。
そんなとき、ふと生きててよかったなと思ったりします。
私たちは母親世代のように(私の母親世代です)、
戦火の中を逃げ惑ったこともない。
だからこそ、「生きることと死ぬこと」がよくわかってないのかもしれません。
私は、1週間後に死ぬよと言われたら、じたばたします。
死にたくないって泣くと思う・・・。
死に瀕したことがある人にとって、それはごく普通の感覚なのではないかしら。
平和な時代を生きているからこそ、死にたいと思うのかも・・・とふと思ったりします。
人間って、あらゆる欲望で成り立っている。
それはほとんど快楽の欲望です。
「人とうまくやりたい」「素敵な恋愛、結婚をしたい」「おいしいもの食べたい」
「楽しいことしたい」
それらがひとつでもあるうちは、潜在的な「生きたい欲求」があるんだと思います。
人にとって、いちばん平等なのは時間の流れです。
みんな年をとっていく、誰であっても。そして死ぬ。
それだけのことだ、と私も思います。
連投失礼。
HANAさんも言ってますが、
私も今どきの人たち(という言い方は曖昧ですが、私より世代が下の人たち)は、
なぜかいろんなことに「意味づけ」をしたがりますよね。
決して悪いことじゃないんだけど、
ときにそれが自分を苦しめることもあるんじゃないかしら・・・。
自分がしようとすること、したいこと、してしまったこと、
失敗したこと・・・。
すべてに意味を見いだそうとする・・・。
前向きなのかもしれないけど、落語的に言えば、
「起こっちまったことはしかたがない」のだし、
「まあ、したいようにするしかないさ」なのですよ・・・。
私はつくづく思っています。
人間って(というか私って)本当に成長してないです。
表面的にいろんな知恵がついて、適当にやることに慣れるだけで・・・。
まあ、それでいいんじゃないかな〜とも思うし。