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キンゼイ・リポート

雑誌に携わる者なら誰でも知っている「キンゼイ・リポート」。
キンゼイ博士の生涯を描いた「愛のためのキンゼイ・リポート」という
映画を観てきた。
50年前のアメリカでは、やはり性に関しては非常に抑圧が強かったようだ。
彼は聞き取り調査をして、性をオープンなものにしようとするが、
持ち上げたものは、たたき落とされる。キンゼイ博士もまたしかり。
そして、結果的に人々の意識を再度、抑圧する方向になってしまった、と
彼は嘆く。
アメリカにはその後、性革命が起こるわけだから、
やはりキンゼイ博士の取り組みは無駄ではなかったわけだ。
日本は、その余波がやってきただけで、本当の意味での性革命は起こっていない。
自ら戦って手にした自由をもってはいない。
だから個人レベルでの差が激しいのかもしれないが。

映画の中で印象深かったこと。
セックスは愛情と切り離して考えるしかない、と博士が妻に言うところ。
彼が男性と寝てしまったことを妻に告白するシーンだ。
「他の人とセックスしたからって、僕らの愛情と絆は変わらない」と。
妻である君がもし他の人としても、僕が傷つかないとしたら、と博士は言う。
「私が傷つくわ」と妻は言う。
ところが、博士が寝たバイセクシャルの男と、妻は寝てしまう。
このあたり、モノガミーとポリガミーの対決、葛藤、そして快楽の勝利、という
図式が見えて、なんともおもしろかった。
性は心と切り離すことはできない。
だが、心の入ったプレイとして楽しむことはできる。
それは善悪で片づけられる問題ではない。
世の中には、性的に本当にいろいろな趣味の人間がいるのだから。

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