最近の日記

ぎすぎすした世の中

冬のオリンピックたけなわ。スノーボードの国母選手が「服装問題」で大批判を浴びている。テレビを見た一般国民が、しかるべきところへクレームをつけたとか。

世知辛い世の中だ。彼の服装がいいとか悪いとか言う以前に、そんなことでいちいち批判をする人の気持ちがわからない。マスコミも、そんな幼稚な意見は放っておけばいい。協会側もわざわざ会見など開く必要があるのだろうか。

もう時効だと思うけれど、高校時代、シャツのポケットにたばこを入れている生徒がいた。教師は、「見えるところに入れるな。学校内で吸い殻を捨てるな」と言った。たばこを吸ってはいけないとは言わない。つまり、問題を起こして損をするのは自分だぞ、何かやるならうまいこと隠せ、と教えてくれたのだろう。

「大人になる」というのは、そういうことだと思う。自分の主義主張を貫くのは悪いことではないけれど、一般的にそれが「通るか通らないか」については、敏感であったほうがいい。世渡りするというのは、どこかで妥協していくことだ、ということを国母選手に教えてやれる大人はいなかったのだろうか。

つまりは、自分と世間のバランスの問題なのだろうと思う。

ただ世間の「一般常識をもつ大人たち」も、些細なことで目くじらを立てない寛容さをもってもいいのではないだろうか。

今さらながら・・・

あけましておめでとうございます。

毎年のことながら、年賀状をくださったみなさん、ありがとうございます。賀状を書かなくなって早数年、書きたい気持ちはあるのですが、なぜか毎年、年末年始は執筆作業に追われているので失礼しております。

ここを見てくださっているみなさま、仕事関係のみなさま、今年もよろしくお願いします。
今年も、何か自分なりのテーマを見つけて、がんばっていこうと思っております。

日本人のメンタリティ

日本人のメンタリティが変わってきた。最近、そんな気がしてならない。去年暮れ、ニュースで子供連れの若いお母さんが、子供手当に関するインタビューに答え、「なんでもいいんですよ。こっちはもらえさえすれば」と笑っていた。

日本人って、「お上」の世話にはならないという矜恃をもっていたような気がするのだけれど。
「ワーキングプアになるくらいなら生活保護をもらったほうがラク」などという声も聞く。
「もらえるものはさっさともらう」
「ラクなほうへ流れる」
それがいちばんだという価値観が、いつしか根付いているようだ。

政治が悪い、社会が悪い。
それはいつの世も同じではなかったか。
裕福でなくても、心豊かな生活はあるはず。
本当に困っている人と、ラクしたい人。
それを見分けなければ、社会はますます悪くなる。

自死について

加藤和彦さんが亡くなった。
「オラは死んじまっただ〜」という歌は本当に懐かしい。あの声をまねして歌うのが、子どもたちの間で流行ったっけ・・・。

切ない思いをしていたとき「悲しくて悲しくて〜とてもや〜り〜きれない」という歌を聞き、まさに今の私だわと思ったこともある。

早く世に出すぎた天才は、早く息切れするのかもしれない。それが宿命なのかも・・・。

仕事でよく行った六本木に、彼の自宅があった。独特の風情ある家だなあとよく思っていた。

私は自殺を否定も肯定もしない。しかも自死について、他人は何も言うことさえできない。その人が選んだ道を静かに見送るしかないと思っている。合掌。

人の命は・・・

お世話になった方が亡くなっていたのを今日知った。
あんまりびっくりして、言葉が出ない。ついこの間まで話していたのだから・・・。
お線香を上げさせてもらい、写真を見たら涙が出てきた。

こんなことならもっと話せばよかった、とふと思う。今夜は彼女のことばかり考えてしまう。

マイケル・ジャクソンの死

同世代の天才的エンターテイナーの急死。
なんだかせつない。

若くして何もかも得てしまい、自分がどこを向いたらいいかわからなくなってしまったのだろうか。スキャンダルにまみれたこの10数年。本心をわかってくれる人はいたんだろうか。

誰にとっても「本心をわかってくれる人」なんて、ひょっとしたらいないのかもしれないけど、凡人は適当にお茶を濁し、友だちと笑って過ごして、まあ、いいかと気持ちをおさめていく。彼には気持ちのおさめどころがなかったのだろうか。

それでも「スリラー」を見ながら思い出した。自分自身も若いころ、このビデオを見てわくわくしたことを。
今日、MTVで「JAM」という曲がかかり、中でマイケル・ジョーダンと共演しているのを見た。ジョーダンにシュートを教えてもらうジャクソン、ジャクソンにダンスを教えてもらうジョーダン。(ジョーダンはリズム感がいまいちでダンスが踊れない)
どちらの「天才」も、異質の天才に出会って楽しそうだった。

もったいない「死」だけれど、これでよかったのかもしれないなあと少しだけ感じてしまった。

落語ベスト10

掲示板に「愛読者の一人」さんが書き込んでくれた、新聞アンケートでの落語ベスト10

1.百年目
2.井戸の茶碗
3.居残り佐平次
4.天災
5.らくだ
6.小言幸兵衛
7.大工調べ
8.壺算
9.厩火事
10.中村仲蔵

全部、ナマで聴いたことがある。寄席ではよくかかる噺ばかりだし。
ところで、私なら、何を選ぶだろう。もちろん、「誰がやるか」が決定的ではあるが、自分の好きな噺家さんがやると仮定して、好きな噺、という観点だけで選んでみると・・・。

ベスト10というランキングはつけられないが、好きな噺・・・となると。
井戸の茶碗は入れたい。居残り佐平次、中村仲蔵も入れたい。
あとは、芝浜、子別れ、文七元結、鼠穴、鰍沢、百川、品川心中・・・あら、大ネタばかり。
雪の瀬川というのも、いい噺だし、唐茄子屋もいいなあ。幾代餅も大好きだし、妾馬もいい・・・。意外と、二番煎じなんてのも気楽に楽しめる。
ばかばかしいけど天狗裁きとか、粗忽長屋、不動坊も好き。
佃祭も捨てがたい・・・。一眼国も。
やっぱり10個選ぶなんて至難の業。

だけど、自分が好きな噺、という観点で落語を見てみるのもおもしろいと改めて思う。

気になること

裁判員制度をにらんだ裁判がおこなわれている。大きなモニターに映し出される肉片やら骨片やらを見て、裁判員が、本当に心身に異常をきたしてしまったらどうするのだろう。メンタルケアはするというが、ケアしきれないほどの傷を負ってしまったら?

こういうことって、受ける側の感受性やら過去のできごとやらに起因することが多いから、同じように同じものを見ても、同じように大丈夫とは限らない。

心の傷が深くなって、働くことさえできなくなったら、国はきちんと今までと同じだけの生活ができるような費用を払ってくれるのだろうか。

憲法にはこんなことが決められている。
〔奴隷的拘束及び苦役の禁止〕
第18条何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

裁判員がこれに当たることはないのだろうか。

2009年

あけましておめでとうございます。って、すでに10日もたってしまいましたが・・・。
年賀状を書かなくなって早数年、仕事関係の方々、年賀状をいただいた方々には申し訳ないことでございます。

今年ほど「お正月」を感じなかった年もない。
そもそも、年が改まる時間帯、私はすでに夢の中〜だった。情けない・・・。
いつにもまして、だらだらし続けた正月。本当はせっせと仕事をするはずだったのだけど。
その代わり、テレビで落語を見続け、松の内に2回も寄席に行き・・・。
落語の登場人物たちのように、今年もノーテンキに、だらだらとがんばってみようと思う。

他人事じゃない・・・

先日夜、女友だちと繁華街を歩いていたら、段ボールハウスで寝ている人の横を通り過ぎた。彼女は、
「最近、ああいう人を見ると他人事じゃないと思っちゃう」と言った。まだ若くて、大企業の正社員で、専門職に就いている夫もいて・・・。そういう人の「他人事じゃない」って、どのくらいの意味合いなんだろう、とふと思う。

正社員だからこそ、リストラを恐れるのだろうか。リストラされたからといって、段ボールハウスに住むようになるとは限らない。
フリーランスでひとりものの私のほうが、彼女よりずっと段ボール生活に近い。
「自分がぎりぎりのところにいる」感覚は常にある。だからといって、「他人事じゃない」と言った彼女を責めるつもりは毛頭ないし、私のほうが大変なのよという気もないけれど・・・。

人には、おそらくその人なりの「ぎりぎり感」があるのだろう。
飯島愛さんの孤独死、これもまた他人事ではなかった。明日は我が身・・・つくづくそう思う。

相変わらず・・・

さん喬さんの追っかけ状態はまだ続いている。
とはいえ、狙っていたチケットはとれないし・・・。
改めてこの人の人気に驚いてしまう。

ちょっとシニカルで照れ屋。
だが江戸っ子の気っ風を感じさせる落語家。
自分自身に対して、落語に対して美学がある。
「美学」は、一時期流行った「こだわり」とは違う。
もっと大きな、志のようなもの。

取材させていただいたハイパーレスキューの人たちもそうだけれど、「志」のある人は、ちょっとやそっとのことでは、ぶれない。軸がしっかりしている。女が本当に惚れてしまうのは、そういう「志」をもった男なのだと思う。

ジェンダーフリーが叫ばれ、男と女はまったく一緒ということになってしまった。何かが違う。そう感じるのは私だけだろうか。

十年ぶりに

ほぼ十年ぶりに、女友だちと会った。変わらないね、とお互いに言い合う。変わっているのだ、きっと。だけど私の中で彼女たちは、あのころのまま・・・。
聞いてみれば、それぞれにドラマがある。生きているのだから当たり前だ。

いろいろなことを経て、それを血肉にして、人は素敵に年を重ねる。やはり会えてよかった、と思う。

はて、私はどうなんだろうか。何を得て、何を失い、何を力にしてきたのか・・・。
あんまり「こう生きるべき」なんて思わないし、楽しければそれでいいじゃ〜んというところもあるのだけれど、どうもそれだけじゃ薄っぺらい女になりそう。友人たちに触発された夜だった。

同じ時代に生きて・・・

同じ時代に生きていてよかった、と思える人がいる。
マイケル・ジョーダンもそうだった。

オペラでは、マリア・カラスに間に合わなかったけれど、エディタ・グルベローヴァに間に合った。今年62歳。かつて、この年齢であれだけの声で歌えるソプラノがいたのだろうか。
ウィーン国立歌劇場来日公演での『ロベルト・デヴリュー』を聴いた。タイトルロールよりも、圧倒的な彼女の歌唱にノックアウトされた感じ。細かく聴けば、瑕疵はあるのかもしれない。でもそんなことはどうでもいいと思わされるくらいの、歌の力、声の力。

この人は、普通の人が楽しむ生活のほとんどすべてを犠牲にして、声を大事にしてきたという。あれほどの声を持って生まれてしまった人の宿命なのだろうか。
軽々と歌っていた十年前に比べれば、声を出すために多少身体は動く。だが、十年前よりも、役の心情をストレートにぶつけてくるように聞こえる。

彼女の声を聴いただけで泣けてくる。あの声をナマで聴けることに何とも言えないありがたみがある。

多忙なのは・・・?

仕事が忙しい〜なんて言いながら、このところ柳家さん喬さんの追っかけ状態。前から大好きな噺家さんではあるが、9月の池袋長講から、中毒のようになってしまっている。

今日は鈴本、小三治さんの代演で「子別れ」。
いやもう、泣いた泣いた。
ここ数週間、さん喬さんにどれだけ泣かされたか。
この人は場の切り替えが絶妙なのと、
なんといっても人情を描くのがうまい。
ひとりの人間を幾重にも描き出し、なおかつ終始一貫、その人の心持ちをきちんと描いて見事きわまりない。
たとえば子別れで、息子が50銭もっているのを知った母親が、人から盗んだものではないかと嘆き、折檻しようとする場面。多くの噺家は、母親をヒステリックに描き出すのが、さん喬さんは深い悲しみをもって母を演じた。そして、最後の最後に、別れた夫と再会、またよりを戻そうというときに、「自分ばっかり好き勝手なことしやがって、ばかやろー」と今までの思いの丈をぶちまける。

それまで必死で耐えてきた母親の心情が一気にあぶり出される。

うまい噺家はたくさんいる。おもしろい噺家もたくさんいる。だが、うまくておもしろくて、なおかつ「人間」を描ききれる噺家はそうはいない。

安全でおいしいもの

汚染米、事故米が話題になっている。工業用のものを食用として売るなんて、いったいどういうことなのか、理解に苦しむ。食べるものを扱う人の意識の低さが腹立たしくてならない。

一方で、安全で安心でおいしいものを、苦労しながら作っている人たちはたくさんいる。こういう人たちにもっとスポットライトが当たってもいいはずだ。

食べ物は大事だ、と思うようになったのは30代半ばを過ぎてから。農薬、添加物・・・。そういうものをできる限り排除して、安全でおいしいものが食べたい。探してみれば、あちこちにいるのだ、そうやってがんばって「こだわって」いる人たちが。だが、がんばっている人たちに、なかなか世間は注目しない。

いくら安全でもおいしくなければ、食べられない、飲めない。でも本気で「安全、安心」にこだわっている人たちって、「おいしい」にもこだわっているものだ。そして、できる限り、値段もリーズナブルにとがんばっている。偽造している人たちとは、最初から意識が違うのだ。

おいしくて安全でリーズナブルなコーヒー、手に入ります。私はすっかり応援団。気になった人は私まで、メールください。

いい男とは・・・?

2日にFM東京(ラジオ)にナマ主演した。「21世紀のイケメンとは」というテーマ。
気軽にしゃべってきたのだが、帰ってきてから、「いい男」ってなんだろうと考えてこんでしまった。自分にとっての「いい男」さえいればいいのではあるが、一般的に言って、好ましい男像というのはかなり変化してきたのかもしれない。

いわゆる男臭さが嫌われ、優しくマメで無味無臭のような男ばかりになってしまった。男言葉は失われて、男たちの声は妙に高い。

いろいろな意味で、男女に与えられる機会は均等であるべきだし、立場として対等であるべきだとは思う。だが、やはり「男女の違い」というものはあるし、それを互いに認め合うところから、男女の関係というのは成り立っていくのではないかと思う。「何もかも一緒」では、男女間のエロスはなくなってしまう。

その番組では、女性たちによって、「イケメン」投票がおこなわれているのだが、男たちが客観視されるなんて、いい時代になったのかも。
どこぞの首相は、「自分を客観的に見られる」とキレていたけど。
「あなたとは違うんです」って流行語になりそう。

敗戦記念日

昨日は、忘れてはいけない敗戦記念日。
先日、若い人たちへの街頭インタビューで、「昔のことには興味がない」「知らないから」と言うのを聞いて悲しくなった。知らないなら知ろうとすればいい。
昭和がどんな時代だったかを。
30年代が懐かしいとブームになったけれど、それはあの戦争の名残でしかない。貧しかったのだ。

私の伯父も戦争で死んでいる。遺骸もない。どこかの南の国できっと土に還っているのだろう。
知らないうちに靖国神社に祀られていたらしい。遺族が抗議したけれど、はずしてはもらえないようだ。
戦犯たちと一緒に、ただの兵隊が、死にたくなかった若い青年たちが靖国に祀られている。本人は望んでいるのだろうか・・・。

私は靖国神社に行ったことがない。見たことのない伯父が祀られている靖国に行ったほうがいいのだろうか。それとも話に聞く、やんちゃで愛すべき青年だった伯父の私なりの面影を、心にとどめておくだけでいいのだろうか。
この時期になると、見たこともないけれど、「いいヤツ」だったらしい伯父のことが思い起こされる。

朝青龍のいない場所なんて・・・

誰がなんと言っても、私は朝青龍のファンだ。
いろいろあっても、彼のいる場所はおもしろい。
相撲は神事だというけれど、そういうことにこだわるのなら、外国人を入れなければよかった。入れたのなら、それなりの教育もするべきだったし、彼らのアイデンティティも大事にするべきだろう。

私は、外国人力士が優勝したときには、その国の国歌も流せばいい、とずっと思っている。帰化した人は別としても・・・。

知らない国で、何かを成すというのは大変なことだ。少なくとも、彼らは相撲人気に貢献してきた。そういうところだけ彼らにおんぶに抱っこしてきて、何かあったら責め立てるというのは、とても残酷なことだと思う。

朝青龍に全盛期の勢いは戻ってこないのだろうか。なんとかがんばってほしいのだけれど。

野茂引退

野茂投手が引退を表明した。野茂が大リーグに行かなかったら、今のようにいろいろな選手が行けるようにはならなかっただろう。そういう意味でもパイオニアだ。
なにごとも多くは語らず、野武士のような選手だけれど、笑顔を見ると、人のよさがわかる。日本のような息苦しい国が合わなかったのかもしれない。

去年だったか、テレビで野茂投手がドミニカにいると知ってびっくりした。どこであってもいい、野球をやりたいということなんだろうなと思った。そして再度、大リーグに甦ったのだから、その根性たるや、本当にすごい。

東京国際ブックフェア

10日はビッグサイトでおこなわれているブックフェア初日。午後から読売グループのブースで、『婦人公論』の編集長とトークショーをおこなった。
一般公開は、この土日。

真っ昼間から不倫だの既婚者の恋だの「セックス」なんて言葉をマイクを通して流しているのは、果たしていいのやら悪いのやら・・・。
ただ、だんだん人が集まってきてくれたのはうれしかった。
終了後は本を買ってくださる方がいらして、ミニサイン会状態に・・・。
恥ずかしかったが、いろいろな方とお話できて、これもまた楽しかった。

今回は業界関係者が多かったのだが、もっと読んでくださる方との距離を縮めたい。顔を見て話したいという気持ちも大きい。
何かいい方法を考えていきたい。