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1週間を振り返って

この1週間は、初対面の人にずいぶん会った。
こういう仕事をしていると、「人に会って話すのが好きな」人種と思われがちだが、
実は私は人が怖い。もちろん、年齢を経て、多少の修羅場(?)も乗り越え、
つまりは世慣れてきたところがあるから、
人が怖いなんておくびにも出さないのは当然。
だけど、世の中人ほど怖いものはない、と今でも思っている。
人と会うのは嫌いじゃないから、こういう仕事も続けて来たのだろうけど、
内心はやはりいつも緊張しているのだと思う。
だから、「人に会うのが大好き、人に接するのが大好き」なんて言う人を見ると
羨ましくなったりすることが多々ある。
つまりは、今週は初対面の人にたくさん会って「疲れてしまった」ということだけが
言いたいような気もするのだが・・・。
ただ、「人は怖いが、人と接するのは悪くはないもんだ」ということも、
最近、つくづく感じている。
以前は「仕事で会った人は仕事以外の関係をもってはいけない」なんて思っていたけど、今は、どんな場でも出会いは出会い。気が合うようなら、食事に行ったり、
麻雀したり、ということを積極的にするようになっている。
人生の中で知り合う人はごくわずか。気が合う人はさらにわずか。
縁があったなら、その縁をなんだかずるずるひきずっていってもいいじゃないか、と
思うようになっている。これってトシとった証拠かも。

まあ、上記で終わればほのぼの〜という路線なのだけど、
ひとつ、あれれと思うことが。
そのたくさん会った人たちの中で、なんと4人もの男性たちが、
「僕、いくつに見える?」と聞いたのだ。信じられない、あり得ない。
私は「あたし、いくつに見える〜?」という女をアホだと思っていた。
「おめーがいくつに見えようがどうでもいいよ」と内心、こきおろしていた。
そういう女の子に向かって鼻の下を伸ばす男にも、「おいおい」と思っていたのだ。
それなのに〜、もはや時代は、
「僕っていくつに見える?」と男が言うようになっていた。
30代から50代まで、見事に世代関係なく、彼らは言う。
もちろん、世間話の中でのこと。彼らが私を口説いたわけではない。
若く見られたいのは、女の特権。男は「履歴書」である「顔」がものをいうのでは
なかったのかしらん。
若く見えれば男もうれしい・・・っていうような単純なことなのか、
男たちが女の意識に近づいてきているのか・・・。
しかもその、「いくつに見える?」という媚びた言い方がどうにも受け入れがたい。
言われるたびに、「ゼロか100」とでも言ってみたいと思うのだが、
ついつい適当な数字を言って、それが実年齢より年上であることが多く、
(もちろん、こっちだって気を遣ってサービスはしているつもり)
「実際は、もっと若いんだぴょーん」なんて男をよろこばせてしまう。
年齢なんて、どうでもいいじゃん、っていうのが本心なんだけど。

あれこれ考えていたら、ふと気づいた。
この4月で、私はフリーライターになってちょうど20年なのだ。ぱちぱち。
まあ、よくも飽きずに飽きられずにやってきたなあと思う。
フリーライターになって、と書いたけれど、私は大学を出てそのまま
フリーランスのライターになった。就職ができなかったからだ。
2浪のあげく、某社の数学のテストは「会社史上初の〇点」という名誉をいただき、
あえなく落選。じゃなくて不合格。
一応、いくつか出版社は受けたけど、全部そんな感じで受け入れてもらえなかった。
私自身、会社に適応する能力は皆無だと思うから、それでよかったのかもしれないが、
当時は落ち込んでいた。
だってライターなんて名ばかり、仕事がないのだから。
少しずつ仕事がもらえるようになったのは、大学時代の先輩たちのおかげ。
そう、だからやはり「人の縁」というのは大事。
なんだか今日はぼんやりそんなことばかり考えてしまった。

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