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三島由紀夫

今年はなぜかこの人が妙にひっかかる。
今の私と同い年で自決した、という事実から来るのだろうと思うが。
彼の、学生との討論、対談などのテープを聴く機会があった。
言論の自由、フリーセックス、言葉のもつ力、そして自我と愛情について。
彼は、自分の言葉が社会的に、もしくは他人に通用するか、というのが
自身の文学の起点だと言った。そして、学生の前では、文学者としての言葉を遣わず、
個人としての言葉を遣う、と。
泰然として、彼は言葉を信じていると話す。
言論の自由やフリーセックスについての考え方も、非常に論理的だ。
文武両道、というのは最終的に一致点がなければいけない、というのも納得。
彼自身もまさに文武両道であったのだろうが、最終的に一致しきれないところで
命を絶ってしまったような気がしてならない。
「自我が肥大すれば、人は有り余る愛情を他者に向けるようになる」とも言う。
あまりに至極まっとうで、
なんだか日頃のもやもやがすとんと腑に落ちるような気になった。

それにしても、「僕には太宰のように一緒に死んでくれる女の人がいないから」と
笑って語っていた三島が、その2年後にあの事件を起こすとは。
「帰結」を想定しての楯の会結成だったのだろうか。
いつどこでどうやって死ぬか。彼はずっとそれを考え続けていたのだろうか。
彼は、「私がいちばん恐れるのは、動けなくなるまで生きていることだ」と
言っている。
精神が肉体の域を出ない、という彼の考え方からすると、
動けなくなってまでも生きていることは、とうに精神も死んでいるということなのか。

吉行淳之介は座談の名手、とよく言われた。
三島は座談の名手であると同時に、討論の名手でもある。
ユーモアもあるし、相手が学生であっても真摯に対応する。
当時の学生たちが論客である、というせいもあるけれど。
文学用の言葉、討論用の言葉、さらには個人的なつきあいの言葉。
ありとあらゆる場所で、三島は意図的に言葉を使い分ける。
それでいて、やはり彼はどこかで言葉を恐れていたのではないか、という
気もする。決して悪い意味ではなく。

三島の本当のコンプレックスは、肉体のことでもなく、
ロマンを拒絶していたのに、実は自分はロマンティストであったと
認めざるを得なくなったことでもなく、徴兵試験に受からなかったことでもなく、
実は出自なのではないか、とふと思った。
結局、自分は地べたを這うような苦労はしていない、という優位性からくる
逆転のコンプレックス。
そしてもちろん、そんな苦労はしたくてもできない状況にもあっただろう。
それだけは、自分の力ではどうにもならない。

私はどこかで三島の一生を、天才の悲劇ととらえている面があった。
もちろん、それだけではないけれど、その面は否定しきれなかった。
だが、肉声を聞き、彼の言葉の選択を聞いていると、
その才能さえ、ある意味で彼が疎ましく思っていたのではないかという
気になってきた。
ただのコンプレックスよりも、優位性が逆転してできあがったコンプレックスは
根深い。
しかし、実は彼にはそれを呑み込むだけの器量があったと思う。
個人的には、人としても男としても非常に魅力的だと感じている。
実は「三島についての評論」というものを、私はほとんど読んだことがない。
もちろん、文学的価値については、「最後の真の日本文学者」と思っている。
だが、文学者としての三島と、人間三島が、
気持ちの中で、一致していないもどかしさがある。
彼個人については、もう少し、自分で考えてみたい。