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女であること

ここを見ているみなさんにはご心配おかけしました。
婦人科系の調子が悪い、といろいろ検査を受けましたが、
無事、無罪放免されました。
とりあえず、大事には至らず・・・ご心配おかけしました。
励ましてくれたみなさん、本当にありがとう。

そろそろ「更年期」も近いのかなあ、という思いがあって、
ついでに、医者で女性ホルモン量を調べてもらっていた。
結果は・・・診察室に入っていくと、大好きな美人の女医さんも看護婦さんも
なぜかにやにや・・・。
30代前半の女医さんが、「更年期のコの字もないですよー。
私よりずっと数値がいいと思います」と笑っていた。
ホルモン量の数値的には、「まだまだぜーんぜん」だそうな。
「気分よく帰ってくださいね」と言われたけど、
ちょっと複雑・・・。

人間って、ある時期に「性の選び直し」をしないのだろうか、という
疑問を感じたことがある。
周りの親しい人たちに、「自分が男である」「女である」ことを
強烈に意識することがあるか、と聞いてみたのだが、
多くの人は「あんまり意識しない」「考えたこともない」という答。
私自身は、いつも「女」という性が重たくて、過剰に意識してきたから、
世間の人たちが、あまり意識していないというのを聞いてびっくりしてしまった。

高校を出るころまで、私は自分が女であることが嫌で嫌でたまらなかった。
男になりたい、と本気で思ってもいた。
だが、それは女という性が嫌であるから、逃避としての「男になりたい」であって、
たぶん、脳内が男であったためではない。
その後、大人の恋愛したりして、対男、という意味で
自分が女であると強烈に感じて、「女という性」を受け入れた。
女という性を楽しんで生きていこう、と感じた時期でもあった。
それからいろんな恋愛して、結婚もして離婚もして、
また女を否定して・・・。否定せざるを得ないできごともあったりした。
30代は一生懸命、仕事をしていたので、
なんとなく過剰に女であることを意識せずに生きてきた時期もあったけど、
このところまた過剰に意識するようになった。

自分の中の「女」と常に戦ってきたような気がしてならない。
その「女」が一体、何なのかと言われるとよくわからないのだが、
少なくとも社会的な意味での「女」ではない、と思う。
かといって、生物体としての「女」でもない。
もう少しいえば、本能としての「女性性」とでもいえばいいのだろうか。
だが、その本能が、どこまで社会的基準に侵されているかは
私にもわからない。

男友達が、「たとえば捨てられた子犬をなんとかしてやりたい、と
思うとき、それは自分が男だから、ではないと思う。女性を守ってあげたいと
思うときも、それと同じで、自分が男だからそう思うのかどうかはわからない」
と言っていた。
なるほど・・・。
あるいは男だから、という刷り込みがすでに脳内でなされている可能性もある。
ボーヴォワールは、女は女に生まれるのではない、女になるのだ、と言ったけど。

秋の夜長は考えることが多すぎる・・・。