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幕末

このところ、司馬遼太郎、池波正太郎、津本陽などの作家の書いた
「幕末もの」を読みふけっている。
新撰組も作家によって、それぞれの志士たちの印象がまるきり違う。
司馬氏はあくまでも情のある目で描いているが(特に土方について)
津本氏は、土方は冷酷な人間と言い切っている。
確かに、土方の冷酷非道な対処のしかたは特筆すべきものがある。
それでも、私はやはり土方に惹かれる。
武士でなかったものが武士になった、なりあがりものの強さを感じるからだろうか。
司馬氏の小説に、土方が京にいる江戸出身のお雪という女性に惚れたという
エピソードがある。真偽のほどはわからない。
だが、それが本当だったらいいなあ、という気にさせる。

津本氏の書いた新撰組のひとり、永倉新八は江戸出身。
江戸者らしく、こだわりがなくておおらかで、結局、明治になってからも
剣で生計をたてた人間として名高い。
生き残って、市井で生きていった幕末の志士のひとりとして、
志の高さがうかがえる。これぞ武士道、といったところだろうか。
さらに読んだのが「春風無刀流」。これはいつか行った全生庵を作った、
山岡鉄舟の物語。
これがよかった・・・。すっかり心酔してしまった。
文武両道というのは、山岡のためにあるような言葉。
さらに敵も味方も、すべての人を虜にしてしまう魅力があったようだ。

このところ、「男」についてよく考える。
男と女の関係は、あくまでも個人的なものであって、
自身の過去の恋愛パターンは何の参考にもならない、と思っている。
それでも、「時代が作り出した男のイメージ」というものは厳然として
存在するのではないか。
男女のボーダーラインがどんどんなくなってきて、
話している言葉だけでは、どっちが男だか女だかわからなくなってきている。
男が強くて女はか弱きもの、なんていう認識はもちろん、私にはない。
むしろ、どんな強い男より、弱ぶっている女のほうが根は強い。
女性はしたたかにできているのだと思う。
それでも、いや、だからこそ、強くなろうとがんばる男に女は惚れるのではないか。
そしてその渦中で見える弱さが愛しくなるのではないか。
女の強さは現実的なものだ。現実問題への対処は女性のほうが圧倒的に強い。
だが、理想を語ったり志を高めたり、という点ではおそらく男のほうが強い。
強いというべきかどうかわからないが。
目先のできごとに対処するのは女、長期的に自らを鍛えられるのが男、というべきか。
幕末の男たちは、そういう意味で、「男」だった。
男が男でいてくれないと、女は女でいられない。