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ヴィラゾンのリサイタル

ヨーロッパで人気沸騰中のテノール歌手、
ロランド・ヴィラゾンの初来日コンサートへ。
今年の春、ウィーンで『愛の妙薬』を聴いてびっくりしたのだが、
これほど早く来日するとは。
まだ33歳。たった6年で、世界を股にかけて多忙を極める歌手となった。
もちろんコンサートは素晴らしかった。まさに「旬」という感じ。
だが、同時に、ここが岐路なんだろうなあ、という感想ももった。
ここから一流と言われる歌手になるのか、使い捨てられてしまうのか。
本人がきちんと自分のキャパを見極め、役を見極めていかないと
オファーの嵐でつぶされてしまうのではないか。
まだ弱声の使い方など、研究の余地もあると思うし、
今が大事な時期、という気がする。
しかし、人の心に直接、突き刺さってくるような歌い方ではある。
そこがいちばんの魅力。

特に大好きな『マノン』からのマノンとデ・グリューの二重唱。
修道院に入ったデ・グリューを、マノンが誘惑しに来るシーンには
息をつめてしまうほどの迫力があった。
愛する女の誘惑に耐えきれず、修道士としての道を自ら捨てる男。
彼女と一緒にいたら破滅してしまうとわかっていながら、
その道を選んでしまう・・・。
破滅もまた愛か。
愛しているから突き放すのか、愛しているならどこまでも突き進むのか。
むずかしいところではある。

かつては、「好きだけど別れる」は欺瞞だと思っていた。
だが、本当に好きなら別れる、身を引く、という結論もあるのかもしれない。
相手のためになるのなら。
マノンは彼女なりに、彼を本気で愛していた。
だからこそ、彼を誘惑しに行った。
だが、彼を修道士のままにしておく、という選択もあったはず。
そうすれば、彼を悲惨な運命に巻き込まずにすんだはず。
それができないのが、エゴなのかなあ。

同じオペラでいえば、『ラ・トラヴィアータ(椿姫)』は、
身を引く女だ。
愛する彼のお父さんに、別れてくれ、と頼まれたから。
高級娼婦であって彼女は、一度道を踏み外した女は幸せにはなれない、と泣く。
最後は駆けつけた彼の腕の中で息を引き取るけれど、
デュマの原作では、彼女は死の際、彼には会えていない。
オペラ化するにあたって、それではあんまりかわいそう、ということで
おそらく彼の腕の中で死ぬ、と変えたのだろう。
原作は悲惨だ。
だが、自分から別れることが、彼への愛の証だったのだろう。
歌舞伎には、そういう「愛想づかし」をする舞台がいくつもある。
本当は好きなのに、嘘の愛想づかしをして、彼を本来の居場所に戻す。
こういう女心は、とてもせつないが、女としては一級品だと思う。
通常はそれがなかなかできないのだから。