あんまり「忙しい」という状態に慣れていないので、
(というか、ただの怠け者)
このところの忙しさには、自分でもびっくりする。
ま、とにかく今年は「仕事をする年」と決めたので、
やれるだけやってみようとは思っているけど。
今日のWBC日韓戦、なかなかおもしろかった。
私は特にナショナリストではないので、
「日本がんばれ」と思っていたわけでもないが、
いい試合だった。
「思いが強い」ほうが勝つ、という典型的な試合。
不調だった福留のホームランには驚いた。
ああいう場面で代打で出てきて、あの広い球場でホームランを打つとは。
久々、日本のナインに「男」を感じた一瞬だった。
今放映されている「suica」のコマーシャルには泣かされる。
ペンギンのsuicaが携帯で話しているのは家族なんだろうなあ。
suicaは、なぜ家族と離れて日本にいるのだろう。
携帯の待ち受け場面に映っている家族の写真を見て、
落ちこんでしまうsuica。
suicaと一緒に暮らす彼女(名前は?)は、
そんなsuicaに毛糸の帽子を買ってあげる。
うれしそうなsuica。あのあたりでなぜか泣けてしまった。
前のバージョンのときから、suicaと彼女がなぜ一緒に暮らすようになったのか
と思っていたが、案外、深い謎があるのかも・・・。
それにしてもsuica、感情豊かで、とってもかわいい。
本当のペンギンは、かなり獰猛だと聞くけれど。
よく人生トータルでプラスマイナスゼロ、だという。
私自身もそう思っているけれど、
これは短期間でも同じことだなあ、と最近思う。
ちょっと仕事が順調で浮かれていると、
それをどーんと落とすようなつらいことがある。
自分にとって何が必要なのか、何が大事なのか。
誰かが必要としてくれているのかいないのか、
今、よくわからない。
大きく考えれば、たとえ社長がつかまったって
会社は回っていくのだし、有名作家が亡くなっても人はその死を悼むけれど
地球が回らなくなるわけでもない。
でも、私たちは基本的には小さな日常で生きている。
小さな日常で大事なことが、人生にとって大事なことになるはずなのだけど。
月曜日、久々にジムに行ったら、すっかり筋力が落ちていた・・・。
インストラクターに言わせると、「筋力が落ちたというよりは、
筋肉の使い方を身体が思い出せない」状態なんだとか。
軽めの負荷でやったほうがいい、と言われて、軽めの負荷でせっせと筋トレ。
ついでに時速6キロに設定して30分くらいウォーキングした。
途中で時速を上げて、ジョギングにトライしたら1分でダウン。
ひえ〜、体力ない〜とびっくりがっかり。
またイチから体力トレーニングやり直しだ。
現状の私の仕事は、本の執筆、雑誌連載(いわゆる署名原稿)、
単発での署名原稿、それと通常の雑誌ライター業務。
本を出すと、それに取材を受けることが加わったりする。
どれもこれも私にとっては大事な仕事で、
もともとは雑誌のライターだし、今もそういう仕事は好きなので
できる限り続けていきたいと思っている。
著名人へのインタビューなどもおもしろいし、
雑誌ライターで読者に会ったりするのもおもしろいし。
平たく考えれば、人に会ってものを書く、ということではすべて共通しているのだから
別に仕事を分ける必要もないなと思う。
たくさんの人に会ったり、いろいろ神経を遣ったりすることが続くと、
高熱を発することがある。年に1度か2度・・・。
もともとどこか楽天的で、最終的には開き直ってしまうタイプなのだけど、
なかなかそうはいかないこともあったりして・・・。
今週の始めもそうだった。1日ですっかり治ってしまったけれど。
はやりのデドックスを、自ら自然におこなっているのだろうか。
体内毒素を自分で出して。そのための熱。そんな気もする。
というわけで、気分も身体もすっかり元気。
と思っていたら、昨日は品川駅前で、思い切り派手に転んだ。
ちょうど雨が降っていて、革底ヒールが滑って・・・。
完全に尻餅をついた。今年いちばんのお気に入りのピンクベージュの
革のロングコートが泥まみれ・・・。
ついでに私の後ろを歩いていた若い女性が、驚いたらしくて悲鳴を上げたので、
衆人環視のもと、めちゃめちゃ恥ずかしかった。
そのままダッシュで駅のトイレに駆け込んで、とにかくコートをひたすら拭く。
泥水がしみこんだら・・・と焦りまくって必死の形相だったかも。
ほとんどわからないくらい、キレイに落ちて一安心。
しかし、私はけっこうよく転ぶ。
雨の日だけではない。
注意力散漫なのだろう。常に何かに気をとられている。
もし急死するとしたら、どこかで転んでそこへ車が、とか
およそ人が転ばないようなところで転んで打ち所が悪くて、とか
なんだかそういう間抜けなことになりそうな気がする。
ちょっと韻を踏んで遊んでみただけだが、
どうもこのところ、頭が混乱している。
頭が混乱、気持ちは混沌、といったところか。
自分がまっとうなのかどうか、判断がつかない。
感情の浮き沈みが極端に激しい。
あることが、些細なことなのかどうか、わからなくなる。
だけどそれは他人が判断することじゃない、とも思う。
「何か」に固執すると、たいていこういうことになる。
本が出て、取材なども受けたりしているのだが、
そういうことがあればあるほど、実はもともとあってないような自信が
急速に喪失されていくのがわかる。
その自信は「書き手としての自信」ではなく、もっと自分自身に根ざしたもの。
書いたものは、そのまま「自分」なのだから、
書店でもネットでも、「書いたときの自分」が全裸でさらされているような気になる。
さらに自分のしていることに意味が感じられない、
生活に現実感がもてない、人が信じられない、という
ある種の精神的危機にさらされる。
最初に本を出してから9年目になる。10数冊の本を書いた。
書けば書くほど、本が出る前後の精神状態は錯乱していく、ような気がする。
最初は出せてうれしい〜というだけだったのだが、
今は出すたびに恐怖感が募る。
自分を守るものがない、と思う。
書けば書くほど、自分を守る術も失われていく。
だからもっと書かなければ、と思う。
現実生活と自分の精神状態が乖離していくようだ。
しかし、ちなみにこれを見て「大丈夫かいな」と不安になった
編集者の方へのエクスキューズもしておかなければ。大丈夫です。