QVCのゲストで私が気に入っているのが、Nakauraさん。木曜日の夜中0時半、昼間も担当している。ファッションの紹介をしてくれるのだが、彼のコーディネートには、ファッション哲学があり、そのまま実践できるヒントに満ちている。
どうやらファンが多いらしく、番組中にかかってくる視聴者からの電話は、Nakauraさんを激励したり感謝したりするものばかり。そうすると、Nakauraさん、感極まって泣き出してしまうのだ。
私は男が泣くのを許せないタチなのだが、なぜかNakauraさんの涙は許せる。彼が中性的な雰囲気をもっているせいもあるのだろうが、感性の豊かさから涙もろくなっているのがわかるからかもしれない。
ちなみに中性的雰囲気というのは、女性っぽいという意味ではなく、「男」を妙に売り物にしていないという意味。ファッションを紹介する上で、男性目線も女性目線ももっているところが興味深い。
ファッション業界が長い、70代のお母さんがいる、少し前に病気して番組を休んでいたらしい、ということ以外、何もわからない。いったい、どういう経歴の人なんだろう・・・。
と、昨日の朝の「目ざましテレビ」(フジテレビ)で、大塚キャスターが、小田和正さんのインタビューに際して言っていた。
「年をとると、なんともせつなくなることばかりだ」と。
それに対して、小田さんは「それはそれとして置いておいて」走り続けるしかないのだと言っていた。
確かに、せつないこともやるせないことも増えていくばかり。腹の底から笑ったのはいつだったか・・・と思うことも増えていく。笑っていても、腹の底ではそこはかとないやるせなさを抱えていたりする。それが大人だとしたら、それもまたせつない。
なんだか大塚キャスターの気持ちが痛いほど伝わってきて、朝からしみじみしてしまった。
周りにいたもっと若いアナウンサーたちには、その心情は、心から理解はできなかったようだ。
年齢を意識してそういった心情に陥るわけではないのかもしれない。そういった心情になってみて、初めて人は年齢を感じるのかも・・・。
6月、新橋演舞場で新派公演が上演されている。
昼は「婦系図」、夜は「鹿鳴館」だ。
新派120周年記念。
歌舞伎を見始めて新派も見るようになったのだから、四半世紀以上見ていることになる。
今回は「婦系図」を見た。
いやあ、泣ける泣ける・・・。
乱暴な言い方をすると、新派の「婦系図」とオペラの「椿姫」は、義理ある人に無理矢理別れさせられた男女、そして最後に女が死んでしまうという点で似ているのだが、決定的に違うのは最後の幕切れ。
椿姫では、別れた男が死の床にある女の元にかけつけ、彼に再会できた喜びのうちに、彼女は死んでいくのだが、新派は間に合わないというシビアな結末。
このあたりが「日本の美学」なのかもしれないなあと思う。再会して魂が救われる、というヨーロッパ的な結末ではなく、やりきれない、どうしようもない悲哀の中に、日本人の美学が隠されている。
このところ、テレビ通販のQVCにはまってしまっている。特にアクセサリー。
この夏はちょっとアクセサリーに凝ってみたいなあと思っていたらQVC。案外、いいものが安い。やばいやばいと思いつつ、気づいたらPCでクリックしてしまっている。
5月下旬は、ずいぶんと寄席に通った。前からうまいけれど、さらに上り調子で勢いを増している菊之丞さんを聴きに。
ただ、寄席に行くと他の噺家さんにももちろん目がいく。私が気に入ったのは「柳家さん生」さん。
淡々と明るい芸風で、軽い噺がとにかくうまい。しかも、マクラから本題への入り方が、どんな噺も非常に見事。「さあ、本題ですよ」なんて野暮なことは決して言わない。いつしか本題に入っていて、しかもマクラがいつの間にか生きている。落語はこうでなくっちゃ。
しかし、落語ってぇのは本当におもしろい。寄席で過ごす、ある意味「無駄な」時間は、人として何か正しいことを教えてくれるような気さえする。
おもしろがろうとがんばったり、論評したりしないで、ただひたすら身を委ねるのが、落語の正しい聴き方なのではないか、と思う。