よく働いた1週間だった。
ま、フリーランスの場合、自分で言わないと誰も褒めてくれないもんで。
朝から、という日が多くて、夜型の私にはつらかったが、
平均3時間睡眠で乗り切った。
が、風邪をひいたのか、咳が止まらず。
以前、気管支炎で3ヶ月苦しんだことがあるが、そのときに近いような気がする。
まだまだ取材の日々が続くので、早く治さなければ。
今週は浅草演芸ホールに2回、それとABTのバレエ「ドンキホーテ」へ。
ドンキはとってもおもしろかった。
演芸ホールは当然(?)、菊之丞さん目当て。
大好きな「紙入れ」をやってくれてうれしかった。
仇っぽいおかみさんがうまいな〜。
パリ・オペラ座バレエ団の有志からなる「エトワール・ガラ」と
アメリカンバレエシアターの「ライモンダ」を立て続けに見る。
いちばん驚いたのは、オペラ座バレエ団のマリ=アニエス・ジロー。
美人でクールでかっこよくて・・・踊りもまたすばらしい。
ライモンダは全編通して見たのは初めて。
多少荒さが気になったのと、ベロセルコフスキー休演で
カレーニョが代演だったのだが、
カレーニョ、ちょっと元気がないかなあ、と心配。
若くハンサムな求婚者ということで、多少抑えていたのかしら・・・。
ライバルに扮したフリオ・ボッカはなかなかの貫禄。
ふたりの男の間で悩む女性・・・羨ましいかも。
バレエを見ていて、いつも思うのは肉体の雄弁さ。
芸術だから、ということを差し引いても、
日常で私たちも、もっと肉体で何かを語れるのではないだろうか。
ちょっとした仕草で、ちょっとした手の動きで。
たとえば相手への想いを、あるいは心からの愛しさを。
言葉には限界がある。
言葉の無力感を覚えると、胸に詰まったものは涙となるしかない。
でもそうではなくて、何かもっと豊かなものを仕草で、
肉体で、表現できたらいいのに。
ベートーヴェンは好きだけど、このタイトルは照れる。
先日、私は運命なんて信じない、と書いたが、
多少の訂正が必要かも。
つまり、運命にかこつけて、何かをあきらめたり後ろ向きになったりすることが
好きではない、と言いたかった。
運命的な出会い、というのは確かにある。
あの日、もし雨が降らなかったらあそこには行かなかった、
そうしたら決して会えなかった、という場合の出会いなんかは
その典型かもしれない。
私は違う世界の人と出会うチャンスは多いけれど、
その中でも、不思議な出会いというのは確かにある。
だけどねえ、出会いを運命と位置づけると、
別れもまた運命か・・・ということになるから、
それがせつないなあ、と思う。
そう簡単にあきらめきれない想いというのはあるものでしょ、
人間だったら。
このところ、とてもおもしろい取材が続いている。
近いうち、形として発表できると思うが、
人間の業、というのか欲というのか、
底知れないものがある。
連休3日間は、大銀座落語祭があった。
うち2日、2つのプロダクションにでかけてみた。
でも私は、やはりホールでやる落語会よりも、
寄席のほうがしっくりくるなあ・・・と感じた。
空気感が違う。
寄席は、行くだけで「浸れる」空間だから。
きれいで大きなホールでやる落語は、やはりもはや「落語」ではない。
もちろん、独演会などはそういうところでやるしかないわけだから
否定はしないけれど。
メジャーリーグでは、野茂に高津が、戦力外通告。
特に野茂投手にはがんばってもらいたい。
彼が行かなかったら、日本人メジャーはきっとこんなにいなかったはず。
勝負と競争の世界は厳しい。
今日は仕事を適度にかたづけて、本を読んだ。
「剣と寒紅」という、三島由紀夫とこの本の著者との交流の物語だ。
たまたまある人と三島の話になり、三島自身の著作と同時に、
関連本であるこの本も読んだ、というわけ。
私にとって、三島由紀夫という人は特別な作家だ。
高校生のころ三島にはまり、登校拒否になった。
飛躍があるような文章だが、つまりは三島の「死の美学」に
はまってしまったといっていい。
ずっと死んでしまいたい、と思っていたし、死の時期を選ぶ権利がある
などとも思っていた。それには高校など必要なかった。
だが、私はあのとき確かに、死の誘惑にとりつかれながら生を選んだ。
その後も三島は大好きで、純粋に文学として読み、
いろいろ考えさせられてきた。
このところ、少し離れていたのだが、再び接するタイミングが
きたということのようだ。
気づいたら、三島は今の私と同じ年で、あの事件を起こし、
割腹自殺をしたのだった。35年前になる。
彼は何を求めていたのだろう。
男らしく、武士として死にたかったのだとしても、
そこへ至る彼の心のプロセスは、どんなふうだったのか。
考えてもしかたのないことなのだが、同じ年齢でああいう死に方を
したと思うと、なぜか気になってしかたがない。
私は運命も宗教も信じていない。
この人と会うために、あの人と別れたのだ、というような
考え方はあまり好きではない。
だが、確かに人生においては、
出会うべきときに出会うべき人に会ってきた、と思う。
「運命」に浮かれたりはしないけど、どんな「縁」も
やはり大事にしたい、と感じている。
先週末から今週にかけて、なんだか睡眠時間が短い。
今日は3時間半。
吉祥寺、高円寺と取材やら打ち合わせやらで
駆け抜けて、最後はロイヤルバレエ「マノン」へ。
マクミラン振り付けのこのバレエは大好き。しかも今回はシルヴィ・ギエムとなれば
期待大。そして、その期待以上の演技だった。
1日2時間くらいの睡眠でやっていけたらいいのになあ、と思う。
そうしたらもっといろいろなことができるのに。
2時間でもまだ1週間程度はもつけど、そうなるとその後、
どこかで20時間くらい寝ないとやっていられない。
かつては72時間不眠不休で、原稿書き飛ばし〜ということも
やったことがあるが、今ではさすがに無理。
でも今は、とても体力気力が充実しているような気がする。
もっともっとおもしろいことがしたいし、
もっともっと人と深くつきあいたい。
ずっと昔から、近い過去まで、思い返せば私だっていろいろ傷はあるし、
今も痛むものも抱えているけれど、
それでもあらゆることに攻めでいきたい。
朝青龍、今日も勝って、私もごきげん。
眼飛ばしも相変わらず冴えているし・・・。
今回もぶっちぎり優勝してほしいところだ。
昨日今日、と少しだけ涼しくてラクだ。
このくらいの気候ならいいのになあ、と思う。
先週から今週にかけては、小三治独演会、ロイヤルバレエ「シンデレラ」
鈴本での菊之丞さんとまたも舞台三昧。
小三治さんは、「百川」をたっぷりと披露。
自分でも、これほど「情景が見えていたのは珍しい」というくらいで、
確かに聞いている私たちにも、場の情景がはっきり見えた。
すごいなあ・・・究極の一人語りなのに、確かにあそこには
たくさんの登場人物がいて、みんながそれぞれに動いていた。
中入り後は、長ーい枕をやっていた。
もひとつ古典を聞きたいところだったが、おそらく「百川」で
あの日は次の噺をやる気が失せたのかもしれない。
ロイヤルバレエ「シンデレラ」もおもしろかった。
コミカルな踊り、プロコフィエフの軽妙な音楽。
12時になって、シンデレラが帰らなくてはいけない、と焦って、
おろおろするシーンで不覚にも目頭が熱くなる。
楽しい時間は必ず終わる、永遠はない、とふと感じたりして。
しかし、あのカンパニー、さすがに層が厚い。
鈴本の菊之丞さんは「幾代餅」。時間の関係か、ちょっとはしょっていたようだが、
幾代の気持ちが伝わってきて、うるうる。
どうも舞台を見ては、うるうるするのが最近の常。
涙腺が弱くなったと見るべきか、感性が衰えていないと喜ぶべきか。
夜のドキュメント番組で、集団自殺への願望をもつ人々を見た。
親に愛されていなかった記憶から、あるいは自分なんていないほうがいい、という
思いから、「消えてしまいたい」とつぶやく人たち。
リストカットを繰り返し、大量服薬をする女性たち。
見ていて、胸がつまるような思いがした。
と同時に、もしかしたら、愛されていることに対して、すごく鈍感だったり
貪欲だったりする人たちがいるのではないか、という気がした。
登場していたある女性は、母親に愛された記憶がない、という。
だが彼女は、父親とは本音で話していた。父から、母は娘を気にしているという
話も聞かされる。
あれだけ父親と親密に話せるのなら、母との関係にそこまで期待しなくても
いいのではないか、と私などは思ってしまう。
いろいろあって、私は父親とは同居はしていたが、ほとんど口をきいたことがない。
「関係」そのものが、なかったとしか言えない状況だった。
きょうだいとも同様だ。
肉親の間でのみ生まれ、作り上げられる「関係」や、「愛情」というものに、
私は子供の頃から、異常に疑惑を抱いていた。
ま、離婚して未だに一人なのは、そのせいもあるのかもしれないが、
もはや誰のせいでもないとも思っている。
「血」に頼らない関係だって、世の中にはあるはず。
だが、自殺願望の強い人たちは、結局、周りに強く強く愛されたいのではないだろうか。自分が思うような愛され方ができないから、愛されないと思っているのではないだろうか。
もしも、本当に愛されていなかった、という思いが強くても、
それなら、自分が誰かを愛してみればいい。
愛することで死にたくない、と思えるようになるかもしれない。
受け身では人生、つまらないのだから。
だが、死にたい欲求にとらわれている人からみたら、きっと
「ちっともわかってない」ということになるんだろう、ということもわかっている。
それでもやはり、私は思う。「甘えるな」と。
死を考えた人なら、必ず生をも取り入れることができるはずだと思うのだが。
人間って、そんなに弱いものなのだろうか。
やりきれないし、せつない番組だった。同時に腹も立った。
今週は、モスクワ室内歌劇場の「鼻」、
映画「花と蛇2」、そして黒門亭寄席とまたも盛りだくさん。
その上、午前中も深夜も取材や打ち合わせが入り、
充実していたといえばいえるが、かなりよれよれ。
珍しく食欲がいまいちで(食べる暇もあんまりなかった)、
脳に糖分がいかなかったのか、今日の夕方は頭がぼんやりしてしまった。
「鼻」は、この劇場の名刺代わりのオペラということで、
さすがによく練れている。
二度見たいかと言われると迷うが、とりあえず見ておいてよかった、という感じ。
「花と蛇2」は、ある意味で楽しみにしていた映画。
ただ、なぜかインパクトに欠けるのは、主演女優の演技がうまくないせいか。
こういうものは、むしろ活字で読んで妄想しているほうが
隠微なのかもしれない。
本当のSMは様式美だし、あくまでも精神的なものがメイン。
SMと性行為は必ずしも一致しない。
性行為上でのSM的行為・感覚というのとはやはり一線を画しているように思う。
攻められているようで攻めている、攻めているようで攻められている、という
ないまぜな感じが、私にとってはエロスなのだけれど。
とっても信頼している大好きな女友だちに会って、
仕事&プライベートなことを話していたら、彼女がとある人を紹介してくれることに。
そのまま速攻でその人に会うことができて、
仕事もうまくいきそうな雰囲気。
さらにそのまま彼の知り合いにも会え、楽しい時間を過ごす。
どんなに機械が発達しても、どんなに世の中が便利になっても、
やはり最後は、あらゆることが「人と人のつながり」なんだと再認識した。
出会いっておもしろい。
出会うべきときに出会うべき人に会っている。
仕事を始めて20年。この年月を振り返ってみると、
まさにすべてが「出会い」のたまものだ。
生きているといいことがあるなあ、と思える今日この頃・・・。
もちろん、いやなこともたくさんあるけど、
嫌なことはさっさとあっちへ押しやって、楽しく生きていきたいものだ。
婦人公論6月22号で書いた、
東京消防庁の特別救助機動隊(通称ハイパーレスキュー隊)の記事が
読者からの評判も非常によかった、と聞いて、とてもうれしくなった。
あの記事は、かなりの情熱をこめて取材執筆したものだから・・・。
少しでも多くの人たちに、彼らの存在を知ってもらいたい。
新潟の中越地震のとき、車とがれきの間にはさまった2歳の子を助けたのが、
ハイパーレスキュー隊の面々。
あれで一気に注目を浴びたけれど、まだまだ彼らの活躍は
知られていない面が多すぎる。
アメリカでは、消防士は常にヒーローだし、
ドイツでも人命救助に携わる人々、それを象徴するヘリは、
人々の憧れの的だという。
どうも日本では、消防士や救命士などが「縁の下の力持ち」扱いされすぎている。
自らの命のリスクをかけて他人を助けるレスキュー隊の実態を
少しでも知ってもらえたら、本当にうれしいのだけれど。
今日は友人たちと、「志らくと家緑の会」へ。
私はどうも、創作落語&新作落語は苦手のようで、
志らくさんの噺はつい、うとうと。
家緑さんは、人情話「中村仲蔵」。
この噺には私は弱くて、うるうるしてしまうのだが、
家緑さんはちょっと説明過多のところがあるのが気になる。
古典をわかってもらおう、という気持ちの表れだと思うのだが、
そこまでする必要があるのかどうか・・・。
説明過多によって、噺に乗り損ねる客もいる、というリスクが生じるのではないか。
毎日、非常に蒸し暑い。
湿度が低ければまだ楽なのだけれど。
昨日は、午後からとある集まりに参加。
日頃、なかなか集えない人たちと真っ昼間から宴会状態で、
めちゃめちゃ楽しかった。
寄席以外であれほど大笑いすることも珍しいくらい。
楽しかった。
今日は午後から取材。
その後、珍しく祖母の墓参り。
大好きだったおばあちゃんに、
思わず「元気?」とつぶやきかけて苦笑してしまった。
亡くなっても、心の中では生きているのだけど。
と書いてから、私の人生の中では、祖母が亡くなってからのほうが
長くなっていることに気づいた。
それでも祖母のことは鮮明に覚えている。
私は仏花というのが苦手で、ハイカラだった祖母も好きじゃないに
違いないと思っているので、花はバラやカーネーションなど
きれいなものを買って供えるのが慣例。
今日の花は気に入ってもらえただろうか。
昨夜、PCが直った。
いつも修理してくれるNさんに感謝。
おそらくメーカーに出したら2週間は入院治療が必要だったはず。
丸2日で直ってくるとは、本当にありがたい。
今日は打ち合わせを経て、夜はとある集まりへ。
新潮社から発売された「恋はストンと落ちるもの」という翻訳本に
かかわったスタッフと打ち上げ。
私は新潮社から出ている小冊子「波」に感想文を寄せただけだが、
打ち上げに参加できたのはうれしかったし、とても楽しい時間だった。