PC治療をお願いしていた人から夜、連絡があり、データもハードもなんとか
助かりそうだという。
昨日からほぼ鬱状態になっていたから、助かった〜という気分でいっぱい。
月曜日、新国立劇場で蝶々夫人を見る。
指揮とオケ、ドラマティックでとってもよかった。
雄弁だ。
肝心の歌に関しては・・・口を濁すしかないか。
その後、友人たちと中華料理へ。
聴いてきた蝶々夫人に関して、厳しい意見が飛び交う。
日曜の朝、突然、メインで使っているPCがダウン。
起動しなくなって焦った焦った。
結局、プロに頼んで現在、入院中。
ひょっとしたらデータまで全滅かも、ということだ。
どうしよう・・・と落ち込んでいる。
予備の小さなPCで、とりあえずはなんとかなるものの、
書きかけの原稿だのメルアドだのが救えないと
かなり支障が出てしまう。
バックアップをとっていない自分の責任なのだけれど。
憂鬱・・・
金、土と極端に暑い日が続いた。
毎年、私は暑くても汗をかかない(熱がこもって熱中症になりやすい)のだが、
今年はなぜか汗だらだら・・・。
新陳代謝がよくなったのか、太めになったせいか・・・。
24日はベルリン国立バレエ団の「ニーベルングの指輪」へ。
かの4夜連続のオペラを5時間のバレエにまとめた公演。
見応えありすぎ〜。
25日は池袋演芸場から祐天寺へ、菊之丞さんの噺を聴くためはしご。
毎度のことだが、やはりこの人の話のうまさと、
ある種のギャグのセンスには感心する。
さらりとギャグを入れることがあって、それがかなりはちゃめちゃなのだが、
あまりにさりげなくて、きっちりやっている古典にも違和感がない。
かの志ん生も、ときどきめちゃくちゃなギャグを入れたらしいが、
きっとこんなセンスだったのかなあ、と思う。
めったに入れないギャグだからこそ、入れたときにセンスが光る。
常日頃から信頼している女性編集者と、共通の知人である男性編集者とで
イタリアごはん。おいしかった〜。
彼は落語好きで、自分でも語っているという。
落語や歌舞伎の話に花が咲き、とっても楽しかった。
私はナマ舞台が大好きなのだが、客観的批評なんてものはまったくできない。
長年見ているのに、蘊蓄は語れない。それが実はコンプレックスでもあるのだが、
(実際、オペラの本を共同執筆しよう、と言われて知識のなさから断ったことも)
「道楽なんだから、楽しければいいじゃん」と言われて、
なんだかほっとした。
日常生活に支障をきたしかけているが、道楽は追求すべし! と改めて思う。
昨日はサン・カルロ歌劇場「ルイザ・ミラー」最終公演へ。
今日は歌舞伎座「恋飛脚」のみ再度観る。
劇場通いが頻繁すぎて、かなり疲弊気味。
例の菊之丞さんの師匠である圓菊さんの「背中の志ん生」を読んだ。
師匠と弟子のつながりが生き生きと描かれていて、すごくいい本だ。
小林信彦さんの「名人」もおもしろい。
彼も志ん朝の死に大ショックを受けたひとりらしい。
ずっと聞いていたというから、その衝撃は私の比ではなさそうだ。
今は結城昌治の「志ん生一代」という小説を読んでいる。
小説ではあるけれど、実際のエピソードも満載で、
読んでいて、思わず笑ってしまうほど。
気候が不順のせいか、このところ肌の調子が最悪。
あげく、なんとかしようと、いろいろな化粧品のサンプルをもらって
使ってみたら、もっとひどいことになってしまった。
私は自分の汗で、自家中毒のように肌が荒れてしまうくらいなので、
ホワイトニング系、ピーリング系の化粧品はやめておくべきなのに・・・。
化粧品を元に戻して、なんとか炎症を鎮めなくては。
日曜日の鈴本へ。
菊之丞さんは、「酢豆腐」。
これはもう、完全に手の内に入った噺で、若旦那が知ったかぶりして
「腐った豆腐」を食べるときの表情や表現のおかしいこと。
日曜の夜の寄席はすいているものだったが、昨日は満席。
お目当てはトリの創作落語の噺家さんだったよう。
私は「???」だったけど。
古典を今風にやる、ということで、メリットデメリットどちらが大きいのか。
志ん生が、「うまくなった」と見巧者に言われたとき、
「褒められたのはうれしかったけど、客は前のほうが笑った」と
思った、ということを何かで読んだけど、
確かに芸のうまさと、客の笑いは比例しないところがある。
だが、それにめげずに正統派を貫く意義はある、と私は思うのだが。
菊之丞師匠には、ぜひぜひ今の道を貫いてほしいものだ。
仕事の合間に鈴本へ。今日の菊之丞さんは「金明竹」。
これはもう、完全に手の内にはいった噺。
まったくよどみなく、あの早口を繰り返すのだからすばらしい。
しかもおかみさんの困った様子、与太郎のすっとぼけた天然ボケが
なんともいえずおかしかった。
中入り後の鈴本は、入場料がかなり安くなっていて良心的。
ナポリのサン・カルロ歌劇場「ルイザ・ミラー」「トロヴァトーレ」へ。
ルイザ・ミラーは主役ふたりの歌の力に、ただただ感動と感涙。
ヴェルディのオペラの中でも、なかなか実演に接することがないだけに
こんなにすばらしい音楽だったのか、と思った。
オペラの合間に鈴本へ。
相変わらず菊之丞師匠のうまさに感動。
若旦那も与太郎も、この人にかかると自在な人間模様が
目の前に現れてくるから不思議である。
歌舞伎座夜の部。
「盟三五大切」、鶴屋南北の名作である。
おもしろかった、おもしろかったんだけど、どこかに?が残る。
おどろおどろしい話、残酷美、南北独特のシニカルさなどが
とてもうまく表現されているのだけど、「虚無」と
「頽廃」に欠ける・・・望みが高すぎるんだろうか。
それにしても、相変わらず仁左衛門のすばらしいこと!!
この人、今は何をやっても、大輪の花という感じ。
これまでの勉強と人生経験がすべて実を結んでいる。
小三治一門会へ。
小三治師匠は、「馬の田楽」
何たって、この人のマクラはおもしろい。
最近、かなりはちゃめちゃになっているのが、
私自身、生では聞いたことがないのだけれど、
ひょっとしたら志ん生という人はこんな感じだったのでは、と
思わせるほどのおかしさがある。
お茶をじいっと見つめるしぐさひとつもまたおかしい。
噺のほうも、もちろん文句なし。
帰ってきてから、アマゾンで落語関係の本をやたら注文してしまった。
昨日の夜は立川談春独演会へ。
慶安太平記を師匠の談志とリレーで。もう一席は厩火事。
大ネタやればいいってもんじゃないし、厩火事はキャラが立ちすぎ。
古典のおもしろさが出てないというか、この人、才能はあるんだけど
江戸言葉を粗雑にしすぎていないかなあ。
今日は菊之丞独演会へ。
鰻の幇間、不動坊の2席。
日曜の夕方にふさわしく、肩のこらない大爆笑の連続。
こういう話はもうお手のもので、とんとんとーんと話が進んでいくさまは見事
としかいいようがないくらい。
古今亭志ん朝が死んだとき、私はもう落語は聞くまいと思ったほど
落ちこんだ。東京の落語の歴史が途切れた、とさえ思った。
だが、今はこの菊之丞さんに大いに期待している。
なにより江戸言葉が生きている。
話の運び、間、言葉のイキのよさ。落語に大事なこれらの要素が
彼の身体にしみこんでいるような気がしてならない。
古今亭菊之丞さんの独演会へ。
私には時間がないのよー、締め切りがーと思いつつ、
やはり行ってしまった。
「三枚起請」と「立ちきり」。
三枚起請は、ネタおろしだそうだが、三人の男がくっきり浮かび上がり、
なお吉原の喜瀬川(? もとは上方落語で小照という名前)の
開き直りがなんともいえずおかしい。
これからもっともっとこの人らしい話になっていくのだろう。
「立ちきり」は以前も聞いて泣いたのだが、今日も号泣してしまった。
鼻が真っ赤で帰るに帰れず、トイレに入ってなんとか立ち直ったのだが、
出てきたら、菊之丞さんが客ひとりひとりを送り出していた。
いちばん最後となってしまった私、何も言えず最敬礼だけして帰った。
彼の「立ちきり」は、小春の初々しさ、だんだん力がなくなっていく様子が
うまいのと、おかみさんがなんとも言えずいい味を出していて泣けてくる。
男を思って気持ちが弱っていく女心・・・がたまらなくいい。
今の菊之丞さんではなければ、できない小春なのだと思う。
10年後、きっともっとうまくなっているだろうけれど、
そのときはやはり、もう少し熟した小春になっているかもしれない。
演じる人と演じる役は、同じように年をとるわけではないけれど、
今のような一直線な小春ではいられないはずだし、
それでいいはず。だから、落語にしろ芝居にしろ、ずっと見続けることが
大事なのではないだろうか。
昨日は大阪に出張。取材の前に、久しぶりに大事な友人に会うことができた。
仕事の前だからゆっくりできなかったのが残念。
本の原稿が思うように進まない。
本当に追いつめられないと加速しないのが悪い癖だとわかっているのだが。
今日はWAVE出版主催の麻雀大会に参加。
麻雀の調子も今年に入ってから絶不調で、今日も20人中ブービーというていたらく。
それなりに大きな手で上がっても、
その後、調子に乗ってずっと上がり続けられると思ってしまい、
振り込んでしまうのが、これまた悪い癖。
「勝って兜の緒を締めよ」ということが私にはないようだ。
引くべきところで引かないから、手痛い目にあい、
そのうち、泥沼にはまってしまう・・・。
うーん、麻雀は人生そのものだというが、
これって私の恋愛&人生そのものかも。
ということで、新しい洋服を仕入れに行った。
この時期になると、夏ものが欲しくなってくる。
以前はモノトーンしか着なかったのだが、現在、ちょっとイメチェン中の私。
去年の夏、知り合った某洋服屋さんの女性は、めちゃくちゃセンスがいいので、
早速、相談に行った。
彼女は私の好きなものは、しっかり覚えてくれている。
その上で、あえてちょっとだけ冒険を勧めてくれるのだ。
「この程度なら冒険してみようかな」と思えるので、少しずつ色ものを
着るようになってきた。
年齢とともに、やはり顔周りが寂しくなるので、首もとのあき具合とか
トップスの色とかは気を遣う。
「大人の女ならではの粋でミステリアスな着こなし」をテーマに(壮大だ〜)
がんばろうとしつつあるところだ。
私はホントにセンスがよくないのだが、彼女に出会ってから
おしゃれって楽しいのね、と思えるようになったきた。
偶然出会ったのだが、どこでどんな出会いがあるかわからない、とつくづく思う。