No.132の記事

訂正

下の日記、文楽の話。「住大夫も語りも」ではなく、「住大夫の語りも」だ。
指が滑ると誤字脱字が多くなる。興奮している証拠?

NHK教育でやっている「こだわり人物伝」。
今は映画監督の山本晋也さんが、古今亭志ん生をやっている。
今日は2回目。志ん生の数少ない録画も流していた。
なんともいえない愛嬌とリアリズム。
落語って、リアリズムだったんだ、と改めて感心した。
カントク曰く、「人間の業を見つめて認めたのが、志ん生の芸」だ、と。
確かに落語に出てくる人間って、ろくなもんじゃない。
だけど憎めないのは、聞いているほうだって、みんな自分の「ろくでもなさ」に
気づいているからではないのか。
本人たちは必死なんだけど、周りから見たらどこか滑稽だったり、
かっこつけてるヤツへの揶揄だったり・・・。
それでも糾弾していることにならないのは、滑稽だと笑っている人や
揶揄している人たちが、自分の中にもそういった「エゴ」や「ずるいところ」が
あるとわかっているからだ。
「え〜、人間とぉいうものは〜〜」で始まる志ん生の落語が
なんともいえず好きだとカントクは言っていたが、
まあ、どんなに生きたって「人間というものは」わからないものだ。
もちろん、それだから生きていけるし、人生はおもしろいのかもしれない。

ろくでもない、情けない部分なんてのは私自身ももちろんもっている。
弱いし、ずるいし、さらにそのずるさを正当化しようとしたりもする。
たまに我ながら笑うしかないくらい、しょうもないなあ、と思うこともある。
ただ、自分を過小評価も過大評価もしたくない。
自分が自分を見る目はどうしたって偏ってしまう。
人をたくさん見ることで、人とちゃんと話をすることで、
自分のことも見えてくる、といつも思う。
自分を見るより人を見るほうがおもしろいし・・・。
落語を聴くのも、ひとつの「人間観察」なのかもしれない。