No.137の記事

自分のこと

今日は町屋のもんじゃ屋さんへ、菊之丞さんの落語を聴きに行った。
こういう落語会というのは、ひとりにつき時間がたっぷりあるので、
聞きごたえがあって好き。
もちろん定席の寄席には、特別な寄席ならではの雰囲気があって好きだが、
なにせひとり頭の時間が短いので、ちょっと欲求不満になってしまう。
今日は「青菜」。夏ならではの滑稽な話だが、すんばらしかった!

私は「自分探し」とか「本当の自分」という言葉が、
どうしても好きになれなくて、探すほどの自分があるのかい、とか
どれも本当の自分だよ、とか、そういう言葉を聞くにつけ、
ひとり突っ込みを入れてしまうタイプ。
それでも、ある日、人との関係において、自分自身、気づかなかった潜在意識みたいな
ものが表面化してくることがあるのだなあ、ということをふと発見した。
だからどう、というわけではないのだけれど、
自分の中でずっともやもやしていたものが、なんとはなしに解決、というか
納得できたような気になるのは悪いことではないのかもしれない。

年下の女友だちと話していたら、彼女は恋愛において、
「お姫体質」だという。私は無条件で、お姫体質の人が羨ましい。
私は完璧、下女体質だから。
彼女は、「男がつけあがったり図に乗ったりするのが許せない」という。
ひえ〜、私はひたすら男を図に乗せてしまう。
だって好きな人には、好きなことをしてもらいたいし、
その人がいちばんいい状態でいられたらいいなあ、と思うから。
自分のためには神仏に祈ったりしないけれど、
好きな人のためなら、どんな神様だって仏様だって祈っちゃう。
お姫体質の女は、「私のために何をしてくれるの?」がキーワードなのだろう。
下女体質の女は逆で、「あなたのために何ができる?」がポイント。
「どれだけ無理してくれるか確かめないと、幸せになれないっすよ」と
お姫は言う。
しかし・・・下女にはそれが言えない。だから下女なんだけど。
些細な無理に、下女は感動して、それ以上、自分から強いるなんてできない。
まあ、愛情を何で測るか、という問題にもなってくるのだが、
お姫は、金だ、などとほざく。
下女は気持ち、と控えめに言いつつ、内心、時間と手間だと思っている。
案外、下女のほうがわがままだったりして・・・。
いや、でも時間と手間は物理的に可能不可能が生じるから、
最終的には「気持ち」なんだろう。
でも悲しいことに気持ちは測れない。
だから下女は、相手の一言に一喜一憂するわけだ。
「恋」を貪り尽くしているのは、さてどっちなんだろう。