No.187の記事

恋人までの距離

昨夜遅くに、テレビでやっていた映画「恋人までの距離(ディスタンス)」。
タイトルは知っていたけど、たまたま最後のほうだけ見てびっくり。
わお、舞台がウィーンではないか!
あの街並みを見て、それだけで泣きそうになってしまった。

世界各国、あちこと行ったことがあるわけではないけれど、
最初にウィーンに行ったとき、なぜかすごく懐かしかった。
あの感じ、他の場所では覚えたことがない。
それ以来、ウィーンに行くと、いつも「帰ってきた」ような気がする。

映画のほうはどうやらウィーンで知り合った、
パリに住む女性と、アメリカに住む男性が恋に落ちるという
ストーリーのよう。
最後は半年後の再会を約して別れるのだが・・・。
去る者日々に疎し、という言葉もあるしなあ、
恋人までの距離かあ・・・と妙な感慨にふけってしまった。
サザンの曲で、「たまに会ってるだけじゃ、お互いのことわからない〜」とか
いうのがあったなあ。

「人はなぜ恋に落ちるのか」(ヘレン・フィッシャー著 ソニーマガジンズ刊)を
読んだが、なぜ恋に落ちるのか、やっぱりわからなかった。
わからなくてよかった、という気持ちもある。
本の中に「恋する気持ちは突然生まれる」という項があったけど、
確かにそう・・・。
私はむしろ、突然、気づくほうかもしれない。
感情の変化が先で、気づきがあと。
多少なりとも、その人に「ぐらぐらっ」ときているのは
わかっているけど、「あ、恋だったんだ」と気づくのは少し遅れる。
正月の間、つらつら考えていたのだけど、
私にとって、ヤバイ恋(常軌を逸してしまうほど惹かれる)の始まりは、
相手に、ある種の「狂気」を感じたとき。
いや、もちろん、その人自身が「アブナイ人」というわけではなくて、
潜在的な狂気を持ち合わせていると、
こっちが勝手に判断しているだけなんだろうけど。
それを感じたとき、ぐっと入り込んでしまう。
そして、こういう恋は、たいてい、あまりいい結果をもたらさない。

もしかしたら、それはこちらの狂気を触発されるということなのかもしれない。
恋なんて理屈じゃないんだけど、
私にとっては、やはりどこかで常に狂気に近いものを孕んでいる。
非常に常識的な中に感じる一瞬の狂気というのは、色気にも似ている。