No.371の記事

2ヶ月ぶり・・・

4月の歌舞伎『勧進帳』は片岡仁左衛門の弁慶がすばらしかった。勧進帳で泣いたのは、芝居を見始めて四半世紀以上たつが、初めてのこと。

上方歌舞伎というのは、そもそもわかりやすいのだが、今回のわかりやすさは、現・仁左衛門が上方歌舞伎を踏襲しているということ以上に、彼自身がきちんと台本を読み込み、弁慶になりきっていたからだろう。いわゆる「ハラのある演技」だったから。あまりに感動して、あわててもう一回見に行き、さらに号泣した。
弁慶にとって、義経を守るのは「任務」だ。命を賭けた任務をまっとうするため、彼は瞬時に機転を利かせる。それがわざとらしくないのが、仁左衛門のすばらしいところ。「段取り」に陥りやすいこの超有名芝居に、新たな命を吹き込んだようにさえ感じた。

5月に入り、鈴本で小三治の落語を聴く。
小三治の顔を見ていたら、不覚にも泣けてきた。
今や大御所となった小三治だし、私はこの人が出てきただけで、なんだかとても幸せな気分になるのだが、この人にとって「落語」とは、何なのだろうと思ったら、なぜか悲しいわけでもないのに泣けてきてしまったのだった。

悲しくないのに泣けてくる・・・。
なんだか最近、多いな、そういうこと、とふと思う。