庄司紗矢香のコンサートへ。
シューマンのヴァイオリン・ソナタ第一番、
ショスタコーヴィチのヴァイオリン・ソナタ
シュトラウスのヴァイオリン・ソナタ変ホ長調
シューマンの出だしで、その音の深みに驚かされる。
第二章で不覚にも落涙・・・。
ナマの音というのは、心に染みてくる。
圧巻はショスタコーヴィチ。この曲自体はそれほど好きではないが、
客席の明かりを落として舞台のみのスポットライト、
集中力を高めての、精神的にもぎりぎりのところにあるような演奏だった。
卓越した技術も去ることながら、情緒・感性ともにすばらしく磨かれた演奏。
そして、この人はおそらく、芸術性のみならず、
「聞かせること」「見せること」を知っているプロなのだ、
と感じさせるものがある。
朝青龍が14日目、優勝が決まったとき、泣いたことについて。
相手力士が地元だったせいもあり、ほとんどの応援が相手力士のものだったこと、
その中で、自分を応援してくれている人を見つけ、
勝った瞬間、その人と目が合って、うれしくてたまらなくなったこと、を
昨日、ニュース番組で話していた。
横綱の孤独・・・。
そういえば、朝青龍は「競馬馬になりたい」と言ったことがあるとか。
「勝っても負けても愛されるから」と。
トップに立つものはいつも孤独だ。
朝青龍、もうすでに2年くらいひとり横綱でがんばっている。
勝っても負けても、私は愛してるよ〜、と言いたくなる。
何かをしたから好きになる、とか何かをしたから嫌いになる、とか
若いときには、そういう恋愛もあったけど、
この年になると、すべての人間関係ひっくるめて、
なかなか人を嫌いになったりはしないものだ。
ま、私はもともとそうだけど。
置かれた状況も、相手の性格も性根も、すべてひっくるめて
受け入れたいなあ、と思う。
清濁併せ飲む、という言葉が嫌いじゃない。
何もかも受け入れて肥やしにしていく・・・なぜか庄司紗矢香のヴァイオリンの音は、
そんな音に聞こえた。
朝青龍の優勝、うれしかった〜。
昨日の土俵上の涙には驚いたが、それだけプレッシャーがかかっていたのだろう。
思わずもらい泣きをしてしまった私・・・。
しかし・・・モンゴル国歌くらい流してあげればいいのに。
いくら日本の国技とはいえ、彼はやはりモンゴルの人。
敬意を表して国歌くらい流してもいいのではないだろうか。
それができないなら、そもそも外国人を入れなければいいだけの話。
今後、外国人力士が増えてくることを考えれば、
優勝したら国歌を流したほうが、よほど国際親善に役立つのではないか。
自分のフットワークが重くなってくると、急に不安に襲われる。
もっといろんな場所へ出かけなければ、もっといろいろ見聞しなければ、と
思ってしまう。これって職業病なのかもしれない。
もちろん、感じたり考えたりする時間も必要だけど、
街へ出ていく気持ちも大事。
神楽坂の菊之丞さんの落語会、
三島由紀夫の憂国忌、
そして松竹110周年祭の古い映画『乾いた花』、
今週はよく出かけた。
憂国忌は、やはり35年という時間の長さを思い知らされた。
このところ、関連本も含めて、ずっと三島の本を読んでいるけれど、
やはり彼の精神性をどこまで理解できているかわからない。
今日読んだ、『回想 回転扉の三島由紀夫』(文春新書)にはちょっと驚き。
学生時代からその評を信頼していた劇作家・評論家の堂本正樹氏が
三島との関係を告白しているからだ。
これはなかなかリアルで、なおかつ冷静、客観的な筆致で、
それゆえに迫力がある。
どんな三島の素顔を見せられようと、やはりその文学的魅力は失われない。
もちろん、人としても・・・。
三島のあらゆる美学は、その弱さをも内包しているが。
映画『乾いた花』は、1964年、篠田正浩監督作品。
音楽が武満徹、というのにまたびっくり。
若き日の池辺良、加賀まりこ主演。
若さゆえ、無軌道ゆえの空虚な生、にちょっと落ち込む。
そういえば若い日の私も、「しらけて」「空虚」で「退屈」な日々を
送っていたっけ・・・。
若いことがつらくてたまらなかったなあ、と思い出したりした。
人間って勝手だ。
人間がいちばんつらいのは、精神的に宙ぶらりんな状態に置かれたときだという。
恋愛でいえば、「私はあなたの何なの?」という状態だろうか。
でも、「関係性」に名前をつけて位置づけることに、何か意味があるのかなあ、と
最近、思うようになってきた。
「恋人だよ」と言われれば、それですべて納得なのか。
友だちだよ、と言われればそれでいいのか。
むしろ、位置づけられない関係、というのがあってもいいのかもしれない、と。
曖昧な、だけど、その人としか作れない関係。
それができたら、男女とか友だちとか恋人とか、
すべて越えた、個と個のつながりが完成するのかもしれない。
もしそこに信頼を置くことができたら、それはすごくいい関係なのかもしれない。
「かもしれない」でしか語れないのは、
そういう関係を、いまだ実際に見たことがないから。
だけど、規定してしまえばしまうほど、関係はありきたりのものに
落ちていく可能性を否定はできない。
枠の中で語れない関係を作っていけたら、
それはそれでとっても素敵なのではないか・・・。
なーんていうことを考えたりもする。
ある意味で、とても深くて強い愛情がないと、
そういう関係は構築できないと思うけれど。
1941、42年に公開された映画『元禄忠臣蔵』を銀座の映画館で観る。
大好きな溝口健二監督、長回しで有名な監督だ。
モノクロながら画面の美しさが引き立つ。
映画の中に流れる時間が、今と違ってゆったりしている。
セリフもないままに、画像だけで内面を映し出す技術と感性に驚かされた。
これだから、映画、なんだ、と改めて思う。
今の映画は(芝居やオペラも含めて)、説明的な演出が多すぎる。
観ているほうの想像力を削ぐような演出には、たびたび腹が立つものだ。
しかしながら、疑問。
昭和16年というと、もはや戦争もかなり本格的になってきているはずなのに、
どうしてあんな映画が撮れたのだろう。
「大義のために死ぬ」というテーマがあるにせよ、
それほど戦意高揚させるほどの内容とは思えないのだけれど。
しかも、出ている役者のほとんどは前進座。
もはやかなりキナ臭い世情になっていた時代だと思うのだけど。
それにしても、古い映画はいい。
画像に人の思いがこもっている。
いや、今の映画だってこもっているものは多々あるのだろうけれど。
新潮45を読む。
中村うさぎさんが、デリヘルで働いた経緯を書いているのだが、
正直言って、同世代としては涙なくして読めない。
15歳年下の惚れたホストと同衾したものの、彼は不如意。
「女として見てもらえなかった」ことに、彼女はひどく傷つく。
まさに慟哭の手記、といってもいいくらいだ。
その結果、彼女は整形やダイエットにいそしみ、
そしてデリヘルへとつながっていったのだ。
男が金を払って、女への幻想を買う風俗、
そして女は女として扱われる、ある種の満足を得ることができる・・・。
気持ち、わかる・・・と涙ぐんでしまった。
女40代。どうがんばっても、自分が男を引きつけられる容姿ではなくなっている
ことに、実は自分がいちばんしっかり気づいている。
それなら、さっさと女を降りればいいのかもしれないが、
なかなかそうはいかない。まして、好きな男ができたりすれば。
そこで、「40代は女盛りよ」と開き直れるほど自信はない。
「容姿より内面よ」と言い切る自信もない。
年くって、多少、精神的には余裕も出て、友だちづきあいならできる。
だけど惚れた男に「女として見てもらえない」ことほど、
女が傷つくことはない。
実際に関係をもつかどうかは別としても、女は女として求められたい、
という欲求がある。
人として尊敬されたいか、女として求められたいかと言われれば、
多くの女が後者をとるのではないだろうか。
かといって、なかなかそういう感情はあからさまにはできないものだ。
がつがつしている感じが、ますます男の気持ちを遠ざける。
「花の命は短くて」ということだろうか。
なんともわびしく、そしてせつない。
かの編集者の死が、意外なほどショックで、ようやくそこから
脱しつつあるところ。
今週、三島由紀夫原作の映画『春の雪』を観た。
原作から、恋愛部分を集約させて撮った作品。
役者に多少の不満はあるものの、内容的には「凝縮された恋愛」を
感じ取ることができた。
抱き合うことは、感情を発露させるものかもしれないとふと思う。
恋の狂おしい感情を、抱き合うことでぶつけるのではなく、
減少させていくこともあり得るのだろうか?
狂おしい感情を発露させずにためていくと、いったいその感情はどこへ行くのだろう。
行き着く先がわかっていながら、どこまでもとことん行ってしまう関係は
せつないのか幸せなのか。
そもそも、人を恋う気持ちっていったい何なのだろう・・・。
破滅に向かう恋は、贅沢なものなのだと言った人がいる。
恋なんて、したいと思ったことは一度もない。
「春の海」のふたりだって、破滅したくてしていったわけではないだろう。
あの結末が「破滅」なのかどうかもわからない。
年をとると価値観が定まってくると世間では言われているが、
私は不惑を過ぎて惑ってばかり。
たぶん、価値観が定まるのが怖いのだと思う。
自分が今まで知らなかった感情を知りたくてたまらないし、
まったく違う価値観をもった人に取り込まれていくのもおもしろいと思う。
固まることへの恐怖感があるのかもしれない。
「自分」をもたずに、するするにょろにょろと人の間に入っていく。
それはともすると、かなりつらいことなのだが、
そうしてみないと自分を確認できないような状態になっている。
そんな気がする。
たまには水のように生きてみるのもいいかもしれない。
例の編集者の通夜に行ってきた。
遺影を見て、亡骸の顔を見て、本当に「いなくなってしまったんだ」と思った。
一気にいろいろなことを思い出す。
いちばん悔しいのは、本人かもしれない。
この世にいながら会えない人もいれば、
この世からいなくなってしまう人もいる。
この世にいれば、いつかは会えるかもしれないけど、
いなくなったら会えなくなる。
その人の生き方に敬意を表し、
その人の分まで一生懸命生きるしかない、とある人が言った。
確かに。
いつか、その人をうならせるようないいものが書けたらいいんだけど。
駆け出しライターのころ、叱咤も含めていろいろ教えてくれ、
その後も仕事の節目ごとに、非常に世話になった編集者が亡くなった。
最近ではめったに会うことはなかったが、それでもメールや電話で
連絡する機会はあった。
最後にいつも、「今度、ご飯でも」と言っていて、ついに会えなかった。
無理言っても、会っておけばよかった。
もっと話しておきたかった。
こういう後悔ってしたくない。
その人が、もうこの世にいないなんて、信じられない。
朝知ったニュースだったのだが、一日、気づくとため息をついていた。
まだ53歳だったのに。
駆け出しライターのころは、けっこう厳しく鍛えられた。
まだメールなんてもちろん、ファクスも個人ではもてない時代だったから、
しょっちゅう編集部で徹夜してた。
私はまだ若かったけど、それでも人生語り合ったこともあったっけ。
毎月一緒に仕事をしていたから、人間関係は密だった。
つらいなあ、こういうの。心の底にずしんとくる。
歌手の本田美奈子さんが亡くなった。
デビューして、まだそんなにたっていないころの彼女にインタビューしたことがある。
所属事務所の社長が病気で「心配で寝られない」と話していたのが印象に残っている。
本人も忙しい時期だったのに、周りの人がいかに自分によくしてくれるか、
周りのおかげで自分がある、ということを一生懸命話していて、
若いのに謙虚でいい子だなあ、ととても感心したのを覚えている。
その後、ちょっと見なくなったな、と思った時期もあったけど、
ヴォイストレーニングして、素晴らしい歌唱力をもって
歌手として、ミュージカル女優としての地位を築いているのを見て、
とてもうれしく思っていた。
努力が報われていくのを見るのは、他人事ながらうれしいものだから。
白血病も、きっと克服して、活躍してくれると思っていた。
若すぎる、38歳。
人の命なんて、いつどこでどうなるかわからない。
誰もが、明日死ぬ危険性をもちながら生きている。
朝8時くらいまで仕事をし、
夕方からジムへ。1時間ほどみっちりトレーニング、
そしてヨガのクラスに出てみた。
動き自体は激しくないけど、ヨガをやってみて、
いかに身体が歪んでいるか、よくわかった。
左側が腰痛持ちなので、どうしてもかばっているところがあるようだ。
身体が歪むと、心も歪むのかなあ・・・。
せっせとゆがみを正さなければ。