
今日のNHKスペシャル、打ちのめされて泣いた。
タイトルは「いのちの対話」、妊娠中絶にかかわるふたりの医師の取り組みだ。
中絶手術はしない、と決めて一度もしたことのない産婦人科医。
それもまた産婦人科医の必要悪のひとつであるとして、
心の傷が残らないように、と気持ちを砕くもうひとりの産婦人科医。
水子供養を繰り返す若い女性、
産もうか産むまいか、パートナーとのかかわりの中で揺れ動く女性。
産んだものの育てられず、子供を養子に出す十代の女性。
子供がほしくて、すさまじい不妊治療をする女性がいる一方で、
妊娠して困惑する女性がいる。
産めるのに産まない女性、産んでも育てられない女性、
しつけという名のもとに虐待する女性、
そして、どうがんばっても産めない女性・・・。
女と生まれたからには、必ず誰もがどこかで行き当たる問題なのかもしれない。
結婚して、問題なく子供を産んで、あれこれ言いながらも
無事に子供が育っていく・・・そういう状況が平凡ながらも
いちばん幸せなのかもしれない。
個人的には結婚制度にも戸籍制度にも、
あまりにも問題があると思うけれど、
ごく普通に家庭を営み、ごく普通に家庭生活を維持している人たちを
私は本当にすごいと思う。
もちろん、その中に入れば、いろいろ問題はあるのだろう。
それでも「維持」は「意志」だから、
意志薄弱の私は、意志をもって維持している人たちに対して、
いつもどこかで忸怩たる思いをもちつつ、畏敬の念を抱いている。
今年もあと3ヶ月かと思うと、妙に気が焦る。
何もかも思うようにならない・・・当たり前か。
仕事についても、このままではいけない、という思いが
どんどん強まっていく。
思い返せば(って、今頃気づいてどうするんだ、という状況だけど)
私は、人生そのものがもたらすいろいろなことから
結局、逃避しまくりながら生きてきたような気がする。
そのときそのときは、確かに一生懸命だったと思うけど、
今になれば、もっと粘ればよかった・・・ということもたくさんある。
粘れなかった・・・その結果が今なのだから、
それはそれで、自分が引き受けていくしかないのだろうけれど。
昨夜、ふっと「あと10年」と思った。
自分の人生をあと10年と仮定してみる。
私には組織も家庭もない。拠って立つ場所がどこにもない。
以前はある意味で、それが心地よくもあったのだけど、
最近は、大海原に放り出されたような気になることもある。
方向も見えない、いつまで浮かんでいられるのかもわからない。
いっそ沈んでしまえば楽だけど、自ら沈む勇気もない。
いつまで気力が続くのか、自分でもわからない。
そういう位置に自分がいる、ということにようやく気づいた。
決して落ち込んでいるとか、そういうことではなくて、
なんとなく人生最後の大きな「広場」にたどりついているような気がする。
ヨーロッパの広場のように、そこからは放射状にたくさんの道が散っていて、
自分がどの道を選択するのか、それを迫られているような。
今までと同じであってはいけないのだろう、
何か新しい視点で、もう一度、自分を見直さないと。