2005年3月

遊んでばかりいるわけじゃないけど

月末の締め切りが重なる時期にあちこち行ったことを書いていると、
まるで遊んでばかりいるようで・・・遊んでばかりいるのは確かだけど。
というわけで、今日は歌舞伎座の「桂枝雀七回忌」の落語会に行ってきた。
枝雀も好きだったけど、今日のお目当ては、大大大好きな小三治。
小三治の「一眼国」、おもしろかった。
マクラで枝雀のことを話していて、それは不覚にも落涙するほどいい話だった。
楽屋で一緒になっても、端と端で眼をちらと合わせてにこっとする程度の
関係ではあったけど、「あの人とあたしは似たもの同士」だと思っていた、と。
お互いにふだんは陰気で、世間話もするわけじゃない。
だけどどこか、合うと気持ちがいいなあと思える人だった。
枝雀の奥さんに、「うちの人は小三治さんに合うと、今日は小三治さんに会って
うれしかった」と言われて、同じように感じていたのだなあと思った。
枝雀さんは、途中からすっかり有名人になって、芝居をしたりテレビに出たり
していたけど、「一度大きな花火を上げてしまって、それがうまくいってしまうと
続けなくてはいけない、と思うから、大変だろうなあ、と遠くから見ては
思っていた」
同業者として、同じように落語を愛する者として、心のどこかでちょっとだけ
心配したり「どうしてるのかな」と思ったり。
だからといって、連絡をとりあうわけでもなく・・・そんなちょっとした
心の交流があったのだろうなあ、と思わせるマクラだった。

枝雀の関係だから、上方落語をいくつか聞いたが、
正直言って、落語は江戸に限る、と思ってしまった。
落語は関西で始まって江戸で発展したものだけれど、
私自身が東京の生まれ育ちということもあって、上方落語はちょっとくどさを感じる。
枝雀の噺のビデオも流したのだが、「代書屋」、おもしろいけど、
やっぱりどこか違う・・・
前に聞いた、権太楼の「代書屋」のほうが、私にはしっくりきたなあ。
実にばかばかしくて、落語の味がたっぷり。
枝雀という人は、ばかばかしさの中に知性が入り込んでしまうのだ。
彼自身はそのことをわかっていて、
だからこそ、おかしみを増すために身振り手振りを大きくしたのではないか。
そんなことをちらと思った。
やっぱり落語はビデオより、生で聴くものだ・・・
ビデオの枝雀は、どこか痛々しく見えた。

朝青龍、優勝

特別な相撲ファンというわけではないが、朝青龍が優勝して万々歳!
実は私、朝青龍が大好き。今場所からは右手で懸賞金を受け取るようになって
少し丸くなったようだが、とんがっている朝青龍もかわいかった。
異国からひとりやってきて、まったく文化の違う世界に入り、
横綱までのぼりつめた、というのはすごいことだと思う。
わがままだのなんだのと言われているが、今場所のあの「投げ」などを見ると、
「相撲が強ければいいじゃん」という気になってしまう。
今日のコメント「大阪の皆様、おおきに」というのも
愛嬌があっていいなあ。これからも応援したい。

そもそも、何かの道に秀でた人に、ふだんから「いい子」を強要するのは
どうかな、という気がしている。
舞台役者も相撲取りも、本業で我々を楽しませてくれれば、
あとは法を犯さない限り、適当でいいのではないかしらん。
歌舞伎役者に隠し子がいたとき、マスコミは大騒ぎしたが、
あんなことは当然、彼らの世界では過去によくあったことだろうし、
今の道徳観や価値観ではかることでもないように思う。
フランスでは、政治家の女性問題に関しては誰も騒がないという。
以前、ミッテラン大統領が隠し子がいた、という話になったとき、
マイクをつきつけられた本人が、「それがどうした」と言ったのは有名。
そもそも男女問題にマスコミが口を挟むのもおかしな話だ。

クリーニング屋に洋服を取りに行ったら、私の前にひとり中年男性がいた。
ま、私も中年だけど。
彼はクリーニングを引き取り、さらに新たにワイシャツなどを置いていったのだが、
その間、一言も言葉を発しなかった。
店の人は目の前にいるのに、まるでいないかのようにふるまっている。
彼は千数百円の代金を払うために二千円出した。店の人が
「二千円からでいいですか?」と聞いたのに、返事をするでもなく頷くでもなく。
はなからコミュニケーションを拒んでいるように見えた。
こういう人、最近、多いと思う。
駅の売店でも無言で金を出すだけ。
病院では、名前を呼ばれても返事をせず、黙って立ち上がるだけ。
私は売店では、「これください」と言うし、
「ありがとうございました〜」と言われれば、「どうも〜」くらいは言う。
たとえどんなに急いでいても。
向こうがちゃんとしゃべっているのだから、
こちらもきちんと応答するべきではないのだろうか。
日本にはとても便利な「どうも〜」がある。
まあ、あまり使うべき言葉ではないと思うが、それでも
言わないより言ったほうがいいと思う。
「口に税金がかかるわけじゃなし」と、我が母はよく言っていた。
言葉を惜しむな、ということだろう。
それは人からどう思われるかということではなくて、
自分が居心地よくいるための方策でもある。
人と話してみること。これは実はとっても大事なことだと思う。

女はみんなこうしたもの

昨日は新国立劇場オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」へ。
なんだかモーツァルト「らしくない」音楽だった。
指揮者のせいだろうか。どこか間延びした感じ。
自分でチェンバロを弾きながら、オケ部分は指揮をしているのだが、
そういう手法は珍しいのではないだろうか。
歌手は小粒ながら悪くはないんだけど、浮き立つような音楽性が感じられない。
ラストもひねってはいるものの、「だから何?」って感じだし。
音楽には素人なので、どこがどうと言葉では言えないのだが、
いかにもモーツァルト、という音楽に酔いたいものだ。
モーツァルトは、やはり「キレ」が大事なような気がする。

今週はいつにも増して、不規則な生活だったため、
今日はたっぷりと睡眠を補給。
だが締め切り地獄に陥っているので、その後はせっせと原稿書き。
なかなか先が見えないな〜と思いつつ、いつかは終わる、と
がんばっているところ。

忙しいけれど・・・

忙しいけれど・・・ 投稿者:さなえ 投稿日:2005/03/24(Thu) 03:54


今日は忙しい1日だった。
取材、打ち合わせにつぐ打ち合わせ、さらに夜もまた取材。
帰宅が夜中の3時半というのは、我ながらすごい。
でも私の仕事、基本的には興味のないことはしないので、
それはとってもありがたいことだと思っている。
なんとかかんとかやってきて、ちょうど20周年のライター稼業。
うまくいかないこともあったし、やめようと思ったこともある。
向いてない、と泣いたこともある。
それでも、続けてきたよかった。
離婚の裏には、結婚生活より仕事を大事にしてしまったという背景もあるのだけど、
今になると、やはり仕事をやめなくてよかった、と思う。
自分から作った家族がいない分、
仕事の中で人間関係も人生も学んできたような気がしている。

落語

昨日は紀伊國屋ホールの寄席、今日は上野鈴本へ。
昨日の落語は特筆すべきモノはなし・・・ちょっと厳しいなあ、あのレベルじゃ。
ただ、猫定という落語、噺そのものがおもしろかった。
今日は九代正蔵の襲名披露2日目で、鈴本へ。
場内は満員、鈴本があれほど満員になったのは初めて見た。
イベントだからやってくる人もいるのだろうけれど、これからも寄席に客が来て
ほしい、と関係者でもないのに願ってしまった。

鈴本では私の大好きな翁家勝丸の太神楽、紋之助の曲独楽などがあり、
正蔵の弟・いっ平の落語、小朝、木久蔵など有名どころがずらり。
いっ平くんもお兄さんに触発されたか、どんどんうまくなっている。
小朝師匠のうまさは今さらながら・・・この人、本当に芸達者だ。
そして大トリ正蔵は、「子は鎹」。
昨日もこの噺だったらしいが、子どもの描写がうまく、ほろりとさせられた。
名前が芸を作る、ということもある。
一生懸命、噺に取り組んでいる姿は、本当に好感がもてる。
これからもがんばってほしいし、寄席に通う人たちがもっと増えてほしいと
つくづく思う。

春めいてきました

取材、打ち合わせ、そして麻雀と週後半は忙しかった。
(最後の麻雀は遊びじゃねーか、という突っ込みも自分の中にあるが)
仕事はおもしろい企画をいくつか抱えている状態。
雑誌でできること、本にしたいこと、いろいろあって、
実現に向けて動いていくのがなかなかに楽しい。

昼間はずいぶん暖かくなってきた。
だが暖かいからとコートを着ずにでかけると、
夜はぶるぶる震える始末。
コートはすでにクリーニングに出してしまったので、
今さら着るのもな〜、もう一度出さなくてはいけなくなるし、と
ついコートなしで出かけてしまう日々。

九州北部で大地震。
震度6という揺れはすごいものだとテレビを見て痛感している。
東京も、遠くない将来、きっと大地震がやってくる。
わかっていながら何も準備をしていないが。
それにしても新潟から5か月後の大地震となる。
どこで起こっても不思議はない。そのくらい地震の多い国に住んでいることを
改めて感じた。

眠い・・・

投稿者:さなえ 投稿日:2005/03/16(Wed) 01:05


今日は朝7時半には家を出て、都内某所へ仕事。
久々に混んだ電車に乗ったが、殺伐とした雰囲気にうんざりした。
誰も彼もが殺気立っている。女性が立っていても、
体で座席を奪うようにして座る男たち、
鞄で人を押しのけて立ち位置を確保する男たち。
おそらく会社では地位も肩書きもあるのだろうに、電車の中で
ひたすら自己チューなのは、中高年の男たちだ。

朝早くからの仕事を終え、同行した編集者とお茶して
仕事の打ち合わせとバカ話。
昼から都内某所で別件取材。
夕方から友人に会って、情報交換とバカ話。
1日のうちでバカ話の占める割合が多いな〜と痛感した。
しかし、こんなところから企画は生まれる・・・はず。

数週間前からずっとエクレアが食べたくてたまらない。
だが、案外、エクレアってないものだ。
今日も友人と会った喫茶店で、いちごのトルテを食べてしまったのだが、
エクレアはなかった。
(ちなみに私は、いちごと栗にはめっぽう弱い。
メニューにこのふたつの文字を見つけたら、つい頼んでしまうのだ)
それにしてもエクレア、食べたい・・・

またまた上野へ

昼間、仕事関係の雑用をすませて、夕方から上野鈴本(寄席)へ。
お目当ての噺家・古今亭菊之丞さんはなんとトリ!
「愛宕山」をやっていた。この人、まだ32歳。しかし・・・うまい!
うますぎて怖いくらいだ。
身振り手振りがきれい、口跡もいいし、なんだかミョーな色気のある不思議な人。
このまま王道を進んでいけば、ものすごい噺家になるのではないか。
先日の「明烏」といい、今日の「愛宕山」といい、
むずかしい話をなんなくこなしてしまう技術はすごい。
もっともっと聞きたい、と思わせる「何か」がある。
今後が楽しみ。

話題の六本木ヒルズ

見学に行ったわけではないのだ、六本木ヒルズ。
映画を見にいっただけ。
もともと江戸下町の人間なもので、六本木あたりはどうも苦手。
結局、時流に乗り遅れるタイプなのだなあ、と実感しつつ、
街の居心地の悪さに耐えながら、「サイドウエイズ」を見る。
男ふたりの1週間の旅行。片方は離婚から立ち直れない男、
もうひとりは週末に結婚を控えている男。
ワイナリーを訪ね歩きながら、結婚を控えた男はナンパしまくり、
立ち直れない男は新たな恋を見つけながら、一歩が踏み出せない。
悪くない映画だけど・・・うーん、なぜかイマイチ共感できず。
つくづく、ニール・サイモンという人は素晴らしいな、と関係ないことを
考えてしまった。というのは、シチュエイション的には、ニール・サイモンの戯曲に
あってもおかしくないような設定だったから。
だけど、彼の戯曲のようにしゃれた会話があるわけでないし、
会話の中から人生の真実が、小さな宝石のようにきらめくわけでもなく・・・
日常的でリアリティがあるのは確かだけど、
そして真実は日常の中にある、と言うのも事実だと思うけど。
それでも心揺さぶられる感じはしなかった。
ふと思ったけど、どうも私はこういう「ほのぼの系」には
はまりきれないようだ。葛藤も怒りも喜びも、もっと深くて濃いほうがしっくりくる。
笑いにくるまれながらも、毒のある言葉を応酬しあうニール・サイモンの芝居が
なぜか懐かしくなるような映画だった。
今どき、濃厚な言葉のやりとりは流行らないのかなあ。

踊るサテュロスと中宮寺

お天気がいい日だった。しかも暇だ。
外へ出かけよう・・・さて、どこへ? こんなときは上野、の気分、とばかり
上野美術館巡りへ。とはいえ、だらだらしていたら、すっかり午後も遅くなり、
結局、踊るサテュロスと中宮寺の半迦像をセット券で見た。
セット券だと安くなるというのは、ありがたい。
サテュロスは今週いっぱい、半迦像は今日から、ということで
うまい日程になった。
どちらもおもしろかったー。
2000年ぶりに海中から上がってきたサテュロス、
1400年の歴史の半迦像。
青銅と木造の違いはあっても、どちらも歴史を感じさせる。

こんな極東まで連れてこられて、サテュロスくんはどう思っているのやら。
奥で修復の様子などが8分ほどのビデオで流されていたが、
サテュロスを引き上げた船の船長さんは、
網にひっかかったとき、本当に驚いたらしい。

一方の半迦像。
飛鳥時代の仏像って、顔がこの上なく優しいから大好き。
ほのかな色気、そしてアルカイックスマイル。
なんかとっても救われた気分になるような表情だ。
仏像の前ではとても素直な気持ちになれるから不思議だ。

食べるべきか食べざるべきか

朝になってしまった。お腹がすいた。食べようか食べまいか、迷う時間帯だ。
日曜日は昼から夜まで、某編集部主催の麻雀大会へ。
24人中、18位というていたらく。
相変わらず麻雀運がない。実力だ、という声も聞こえてくるが・・・。
その後、帰宅して朝まで仕事、というわけで、こんな時間になってしまった。
私は典型的な夜型なのだが、これはこれで不便だ。
締め切り時期が重なると、ほとんど昼寝て夜起きるような状態になる。
何かの振り込みやら、クリーニングやら、靴の修理やら買い物やら、といった
日常的な行為がほとんどできなくなってしまう。
取材というのは、基本的に昼間から夕方が多い。
夜原稿を書きながら、昼は取材という日々が続くと、これはこれで完全な睡眠不足が
続くことになる。

周りにも朝型が増えてきた。偉いなあと思うけど、
私にはできそうにない・・・(やる気がないだけ、という噂も)
子どものころから、私の母親は、
「寝るほど楽はなかりけり。浮き世のバカが起きて働く」とよく言っていた。
たまにやむを得ず、朝早く起きると、この言葉が頭に浮かんでしまう・・・
これって新種のトラウマかも。
そういえば、母は妙なことばかり言う人だった。(ちなみに健在)
「明日できることは今日するな」とか・・・
だからこんな怠け者の娘ができてしまったのではないだろうか。

あー、やっぱり空腹。
黒豆茶でも飲もうかな。
実は、黒豆茶にちょっとはまっている。
煮出してもいいのだが、私はめんどうだから直接、カップに黒豆をいれて
熱湯を注ぐ。
お茶を飲み終えるころには、黒豆も柔らかくなっていて食べることができる。
黒豆は体にいいというし、ちょいとお腹も満たせるし、一石二鳥。
どうしても夜食をとることが多い生活なので、太りがちだが、
黒豆茶なら許されるかなあと思っている。

ヴェリズモオペラ

朝まで仕事して、ちょっとだけ寝て、10時に起きて落語の前売りチケットを
電話で予約。それからまた少し寝て、昼に起きて仕事して、
夕方から、新国立劇場小劇場へ。
レオンカヴァレロのオペラ「ザザ」を聴いた。
初めて聴くオペラだったが、引き込まれた。
ヴェリズモオペラというのは、本当に「ドラマ」なんだなあと実感。
女優であるヒロインが恋した相手は、実は既婚者だった、というだけの話だが、
女優のお母さんがひどい飲んだくれだったり、仕事と恋との間で悩んだり、と
人間の苦悩に焦点を当てているから、まさに「ドラマ」になる。
歌手たちもがんばっていた。舞台は質素だけど、ある意味ではこれで充分。
かえって歌と内容に集注できるというメリットもある。
こういうめったにやらないようなオペラが聴けるのはありがたい。
新国の現状は深刻で、このところ惚れ惚れするようなオペラにはありついていないが、
回数が減ったとはいえ、この小劇場オペラを残したことだけは評価したい。

ツキがない!

投稿者:さなえ 投稿日:2005/03/02(Wed) 06:29


今日(火曜)は、某指揮者にインタビュー。
音楽に携わる人の話は本当に興味深い。

夕方から、ちょっとだけ麻雀をした。
どうも今年になってから、勝利の女神に見放されているようで、
思うような手が作れない、上がれない。
うーん、苦しい・・・。
私は締め切りを抱えているし、他の人たちも明日は会社があるから、
電車で帰れる時間にお開き。
帰宅後、せっせとお仕事していたら、またも朝になってしまった。

最近知り合った女性編集者といろいろ企画の話をしていて、
「仕事したい」欲求が倍増。
だが、そういえば私、この仕事が本当にイヤになった、なんてことが
一度もないなあ、と振り返った。
もちろん仕事だから楽しいことばかりじゃないし、
げんなりすることもたくさんあるけど、それでもどうでもいいや、なんて
思ったことはない。
幸せなんだろうなあ〜と我ながら感じた。