最近の日記

ブログになりました

日記もブログ形式になりました。
気が向いたらコメントつけてください。

今日も朝青龍が勝って、これで全勝。

ほっとした・・・。

どこが日記なのか・・・

なんと2カ月近くも更新していなかった日記。
どこが日記なんだ・・・と自分で突っこみたくなる。

いつしか11月・・・。
光淫、もとい光陰矢のごとし。

それにしても、このところの10代の自殺・・・気になる。
部活で問題があったなら、クラブなんてやめたっていいんじゃないか。
いざとなれば、学校だって転校できる。
死ぬことを考えれば、他に方法があると思えないのだろうか。
ま、思えないから死んでしまうのだろうし、
それが若さゆえの短絡的なところなのかもしれないけれど。

いじめ、という言葉が適切かどうかわからないが、
そういうことは、大人の社会でもある。
結局、人が生きて生活している限り、いじめなんてものはなくならない。
私はそう思っている。
あんまり性善説はとらないタチなので・・・。
だったら、ことが起こったとき、自分の身にふりかかってきたとき、
どう対処するべきか、それを考えていくほうが危機管理としては正しそうだ。

したたかに、しぶとく生き抜く。
それを教えるのが、ひょっとしたら、今の時代、いちばん大事な教育なのかも。
子供は社会の宝なのだから。
親が抱えてこんでいるだけでは、したたかな人間にはなれない。
いざというとき、どれだけ強くあることができるか。
その強さとはどういうものなのか。
周りに助けを求めることは、弱いことではない、強いことなんだって
教えていかなくてはいけない。
プライドなんて振り捨てたっていいんだ、ということも。

遮二無二がんばって生きていく。
それが本当の強さなんだよって、教えてあげてほしい。

しかし・・・弱い子が悪いというわけではないし、
その子にはその子のよさもあるわけだし。
だからむずかしいんだろうけれど。
ただ、いざというとき、本心を打ち明ける「強さ」
弱音を打ち明ける「強さ」だけは培ってほしいけど。

急に涼しくなって

もうこのまま秋になってしまうのだろうか。
しとしと雨がなんとなく憂鬱。
ぎらぎら太陽にうんざりしていたのに、このまま涼しくなるかと思うと
寂しい気もする。人間って勝手だ。

つい先日、気づいた哲学的な問題。
人は、今日がこれまでの人生でいちばん年取ってるけど、
今日が、これからの人生でいちばん若い日でもあるということ。

イラストレーターの女性が自殺した。48歳。
詳しいことはわからないが、仕事ができないという母親宛の遺書が
あったというから独身なのかもしれない。
独身、48歳。フリーランスの仕事。
うーん。しんどい。他人事とは思えない。

個人の仕事って、ときどき本当につらいなあと思う。
相談する人はいるとしても、
本当の意味で、仕事の苦労や喜びを分かち合うことができない。
年齢を重ねるごとに、いろいろな孤独が深まっていく。
日々の仕事仲間も、日常をともにする家族もいないとなると、
これはなかなかにつらいものがある。
しかも、年齢的にも更年期に近くなったりすれば、
二重苦、三重苦といった事態になりがちだ。

うーん、いったいどうすればいいのやら。

9.11から5年

あの日のあの時間、私はニュースステーションを見ていた。
まだ久米宏が進行をしていたころ・・・。
番組の最後、いきなりワールドトレードセンターに飛行機が突っ込む映像が流れた。
映画のようだった。
その数か月前、私は久々にニューヨークに行ったばかりで、
まだあの街の躍動感が身体に残っている状態だったから、本当に驚いた。

あれから5年。
この間のアメリカの対応には、やはり賛同しかねるけど、
あのときのアメリカの人々の気持ちは察するにあまりある。

つい先日、「ユナイテッド93」を観た。
ワールドトレードセンターに突っ込んだ2機、ペンタゴンに突っ込んだ3機目、
そしてひっそりと墜落した4機目。
その4機目の機内の様子を描いた映画だ。
特にテロリストを声高に非難するわけでもなく、
かといってアメリカ人を声高に誇らしく語るわけでもなく、
淡々と「あの日のあの機内」が描かれている。

いちばん驚いたのは、管制官や軍人たちに、当の本人たちが出演していること。
何を思って出演したのか・・・。
あの4機目を忘れないでほしい、ということなのか。

飛行機がレーダーの範疇から消え、それがいつのまにか
マンハッタンに現れてビルに突っ込む、しかも2機も。
というところから、管制塔や軍のパニックが始まる。
誰も、一体何が起こったのか把握できない。
なんだかわからない、だが、何か飛んでもないことが起こっている。
そのときの人々の現実感のなさのようなものだけは、
とてもうまく描かれていた。

あんなことは起こってはならない。
あんなふうに人が殺されるのは理不尽すぎる。
だが、報復の連鎖もまた、どこかでやめさせなければ。
ワールドトレードセンターの救助の模様を映画化した作品も
10月に公開される。

いつしか9月

いつの間にか、9月になってしまった。
今年もあと4カ月。
早すぎる・・・。

ここ2カ月くらい、ずっとイマイチ元気が出なかった。
仕事のこと、これから先のことなど、なんだかいろいろ考えてしまって。
だが、どうやら少しずつ、からまった糸がほどけつつあるような気がする。
考えていてもしかたがない、と思い始めたのも事実。
現状維持なんておもしろくない、人生は攻撃的に生きていかなければ。
たとえ失敗しても、冒険したり、賭けしてみたりしたほうがおもしろい。
結局は、そういういいかげんな生き方しかできないってことなのかもしれないが。

カミーユ・クローデル展@府中美術館

府中美術館にカミーユ・クローデル展を観に行った。
世界的に有名な彫刻家・ロダンの弟子にして愛人。
まだ女性が芸術の世界に身を投じるのが珍しかった時代、
自ら望んで彫刻の世界に飛び込んでいった勇気ある女性。
ロダンの彫刻の何割かは彼女の作品ではないかと言われているほど、
実力のあった女性だ。
彼女は女性らしい優美な彫刻を残している。
かと思うと、自分とロダンとロダンの内縁の妻との関係を
そのまま彫刻にしている激しさももっている。

1864年、フランス北部に生まれたカミーユ。
20歳でロダンと知り合い、20代後半でロダンと別れる。
その後、数年は意欲的に芸術に取り組むものの、
次第に奇行が目立つようになり、孤独を深めていく。
そして彼女に理解のあった父親が亡くなると同時に、
家族によって精神病院に入れられ、30年間を病院で過ごして
孤独のうちに死んでしまう。

関係が壊れたのは、ロダンの子を宿し、堕胎したのがきっかけだという説もある。
いずれにしても、彼女は本気でロダンを愛し、
関係が壊れたことによって精神も壊れていったのだろう。
繊細で情熱的で激しい彼女の作品に、彼女の精神は表れている。

カミーユ展は以前にも行ったことがある。
映画も本も読んだ。
なぜか彼女に惹かれる。
20歳のころ、彼女はとても美しい。
ロダンにとっても、彼女は最高のミューズだっただろう。
だがロダンと別れた30歳のカミーユは、かなり肥満し、
目にも精気がなくなっている。

ロダンに会ったことが、彼女の幸福であり、不幸であった。
どちらがより強いのか・・・。

1943年に亡くなった彼女。
亡くなってすでに63年がたつ。
今、日本でこのような展覧会が催されていることを
彼女はどう思っているのだろう・・・。

なんとなく鬱々とした日々

梅雨もあけたけど、気持ちはじめじめ・・・鬱々。
誕生日が過ぎて1カ月もたったけど、年齢にもなじめないし、
どことなく現実的な「日常生活」が楽しめない。
逃げてしまいたいけど、逃げ場もないし。
夢をもつには年取りすぎたってことかなあ。
身近な目標が、先の目標につながっていかない。

若いっていいなあ〜

最近、しみじみと若いっていいなあ、と思うようになった。
だからといって、若いころに戻りたいわけでもないのだが、
若い人たちを見ると、「今、どんなことがあっても、まだ未来があるんだよ」と
言ってあげたくなってしまう。

先日、夏木マリさんがテレビで、自慢できることは? と聞かれて
「年を重ねてきたこと」と言っていた。
かっこいい。かっこよすぎる。

いろいろなことからの回復が遅くなる、というのが
このところ困った現象。
体力よりもむしろ気持ちの問題。
年齢を重ねてきたのだから、些細なことなど気にしなくていいはずなのに、
気持ちが薄いガラスみたいになっている。
ぱりんぱりんと、あちこち割れる。
それを修復するのに時間がかかる。
割れたままのところも、そのままになっているような気がするし。

若いときは、何かあると、ばっくりと大きな傷がつくのかもしれない。
年をとった分、受け身ができるから、瞬間の傷は小さくてすむ。
だけどその数は多い。
自然修復するのに時間がかかる。
小さいと思っていた傷が、いつしか消えない傷になって、
そこに汚物がたまっていくような感覚。

だが、汚物を生み出しているのも、自分の心なのだろうなと思う。
すべては自分の中で起こっている。そんな気もする。

結局、イタリアーフランス

ワールドカップ、結局はイタリアーフランスの決勝となった。
ジダンの最後の試合だけど、うーん・・・やっぱり顔でイタリア! かな。
などとノーテンキなことを考えている。

6月はオペラ月間だったのだけど、なんだか最近、わくわくしない。
見慣れすぎたのか、はたまたこちらの感性が鈍っているのか。
他に考えることがいろいろあって、舞台に没頭できないのかもしれない。

なんだかんだ言っているうちに、今年も半分過ぎてしまった。
時間がたつのは早い。

ヨーロッパ時間

このところ、完全にヨーロッパ時間での生活。
ついついサッカーを見てしまうせいだ。
アルゼンチン、強かったな〜。
流れるようなパスからのシュートは見ていて本当に気持ちがいい。
個人技のレベルの高さとチームワーク。
自分のやるべきことをわかっている個人の集まりなんだろう。
それにしても、サッカーは半ば格闘技だということがよくわかる。
審判に見えないところでのつつきあいや小競り合いも多々ありそうだ。
そのあたりはバスケも同じだが。
身体的強靱さもとても重要となる。
身体がぶつかりあうスポーツ、なおかつ個人ではなくチームスポーツというのは
見ていて、なぜかわくわくする。

友人の結婚

しょっちゅう会っているわけじゃないけど、大事な友だちはたくさんいる。
この年になると、お互い忙しくて、そうそう会えないけど、
それでも何かあれば駆けつけたい、大事な友だち。
彼女が結婚することになった。3度目・・・だったかな。
「今度は別れない」と彼女は言う。
なんだか羨ましかった。
結婚そのものが羨ましいというわけじゃないけど、
やっぱり結婚とか一緒に住む、というのは、
「その人だけを選んだ」ということだもんなあ、と改めて感じた。
誰かに必要とされる幸せ・・・っていいな。
素直にそう思った。

自分の中で圧倒的に好きで燃えさかっているのが恋愛だと思ってきたし、
今もそう思う部分はあるのだけど、
それで傷ついてばっかりきたのかもしれない。
落ち着いた関係を育んでいこう、という努力ができない人間なのだろうか。
まあ、今さら結婚したいだのなんだのといっても
遅きに失した、という感じではあるが。

ちりめん山椒とラタトゥイユ

ちりめん山椒の作り方、問い合わせがあったので書いちゃいます。
1.山椒は枝からはずして洗う。これが大変。小さな枝がついていると
あとで口の中に残るので、きれいに実だけとったら(約30グラムぐらい)
30〜40秒ほど下ゆでし、
水気を切っておく。
2.醤油25cc、酒、みりん各おおさじ1を入れた小鍋で、1を加熱。ひと煮立ちしたら
火を止めておいておく。
3.浅くて広めの鍋に、酒50cc、醤油25ccを入れて沸騰させ、
ちりめん200〜300グラム(私は半分でやってしまったが)を入れて強火に。
煮立ったら弱火にして煮て、煮汁が減ってきたら、1の煮汁だけ加えてさらに煮る。
煮汁がなくなる寸前に1の実山椒を加え、かきまぜながら汁気を飛ばす。

私はちりめんがちょっと固めだった。もう少しふっくらさせたければ、
3の最初の段階で、最初にお湯でちりめんをさっと煮て水分を含ませるといいようだ。
味付けは好みなので、適当に。

もうひとつはラタトゥイユ。イタリアではカポナータというが、
簡単に言うと野菜のトマト煮。
ズッキーニ、なす、ピーマン、マッシュルーム、たまねぎ、にんじんなど
好みの野菜を乱切りして、オリーブオイルでいため、
へたをとったトマトを手でつぶして野菜の上に乗せる。
ふたをして、あとは煮込むだけ。野菜とトマトの水分だけで蒸し煮にする。
味は塩、こしょうのみ。
このみで最初に少しだけニンニクを炒めてもいいと思う。
ハーブを入れてもいける。
トマトは、煮込んでいる途中で皮を剥くことも可能。
私は皮ごと食べちゃうけど。
煮込みが少なくてもおいしいし、野菜がくたくたになるまで煮てもおいしい。
熱くても冷たくてもOK。
夏の万能お総菜。

せつないニュースがいっぱい

拉致問題の件で、横田さんが韓国へ行ったというニュースを見た。
北へ向けてのラジオ放送の収録を聞いて、
なんとも胸がしめつけられるような気になる。
「とにかく生き抜いてほしい」
家族としては、そう願うしかない状態。
何十年も娘の無事を祈り続け、救出を願い続ける親たちの髪は、もう真っ白だ。
つらい・・・。

もうひとつ、京都で認知症の母親を殺害、自分も自殺を図った男性の裁判があった。
たったひとりで認知症の母を介護しなければならなかった50代の男性。
母の合意のもとで、母の首を絞めたという。
今も、「もう一度生まれてくるなら、母の子として生まれたい」と
言っていたと聞いて、思わず涙腺がゆるんだ。

介護保険が始まって6年たつが、今年の春、介護法が見直された。
今まで要介護1だった人たちが、要支援に回され、
車椅子を借りられなくなった。買い取るしかない。
介護保険もまた、財政が厳しいという。
そんなこと、始める前からわかっていたのではないの?
今までデイケアに週3回通えていた人が1回になってしまう。
これではリハビリは進まない。もっと来たければ金を払え、という。
介護も医療も金次第・・・なのか。
ひとりで息詰まって、親と一緒に心中するしかなくなってしまう人が
これから増えていくのではないだろうか。
他人事とは思えない。

初夏

投稿者:さなえ 投稿日:2006/05/08(Mon) 01:33


緑が濃くなる5月。爽やかな季節。
のはずだが、気分はあんまり爽やかでもなく・・・。
なかなか仕事のケリがつかないのは
自分のせいなんだけど。
ようやくぼちぼち進展してきた。夏前に出すのはむずかしいか・・・。

などと言いつつ、落語会に行ったりバレエを観に行ったりもしていた。

その分、ジムには行けなくて、このごろはジャケットがきつい。
やばいやばい・・・と思いつつ、ついつい食べてしまう。
食べ物がおいしい5月。(1年中おいしいけど)

春だというのに

なんだか天候が定まらず、周りに風邪っぴきの人が多い。
私もまだなーんとなく喉がおかしいような・・・。

今月上旬は、「東京のオペラの森」の「ヴェルディ レクイエム」と
ピアノのキーシンを聞いた。
ヴェルレクは、指揮がムーティ、ソリストにフリットリ、サッバティーニ、
ダルカンジェロ等々のメンツ。
うーん、このメンツなら、何かオペラができなかったものか、
という気になってしまう。
いちばんすごかったのは合唱の面々、ソリストもよかったが・・・。
感心できなかったのは弦かなあ、やはり。
あの曲のうねりが感じられなかった。
管楽器、打楽器はがんばっていたけれど。
寄せ集めの悲しさか。

キーシンはアンコール8曲、というのにびっくり。
拍手していればいつまでも出てきて弾くのだから・・・。
調子よくサービス精神っていう雰囲気でもなく、
なんだか実直そうで好感がもてる。
技巧のすごさは言うまでもなく。左手の力強さが印象的。
バランスが悪いわけではなくて、曲の後半になっても左手の強さが
しっかり印象に残る、というのはすごいなあ、と・・・。

実は今月、歌舞伎座にも行ったのだけど、
体調の悪いときに無理やり行ったので、ほぼ全滅のように眠ってしまった。

食べ物に終始してしまった

日記、読み返したら、あまりに食べ物に終始していて恥ずかしい。

体調の悪いときは、どうしても仕事先に心配&迷惑をかけてしまう。
長年一緒に仕事をしている人たちが多いから、冷たいことは言われないし、
取材を休んだわけでもないけれど、
やはり熱でぼうっとしていたりすると、思うように仕事が進まない。
でもそういうときに、人の優しさが身に染みたりする・・・。
いくら心配してくれても、仕事なんて休んで病院に行け、と言われるのは困る。
フリーランスが仕事を休んだら、どういうことになるのか、
まったくわかってない。
もちろん、私の代わりなんていくらでもいるけれど、
取材も決まった土壇場で、「今日の取材には行けない」と言えるのは、
強制的に入院させられたとか、意識がないとか、そのくらいのときだけだろう。
そこまでいかない限り、仕事を放り出すことなんてできないということ。
受けた仕事は期日以内に、なんとか形にして納品する。
これ、仕事の基本中の基本では? と思うから。

気づいたら・・・

あれま、気づいたらすでに4月も3日過ぎてしまった。
日記の更新は2週間ぶり。
なんだかわけがわからないくらい、多忙な日々だった。
いや、世の中に多忙な人はたくさんいるわけで、私の多忙さなど
たいしたことはないとわかってはいるのだが・・・。

10日ほど前、いきなりの高熱。
喉が痛くて、固形物が入らない。
週末だったので、月曜になるのを待って近所の耳鼻科へ。
扁桃腺、舌根、リンパが異常に腫れている・・・。
しかも気道と食道を分ける弁が腫れていて、これ以上腫れると、
「気道の側に弁がぱたっと倒れる可能性がある。そうしたら即死です」と医者。
即死、を3回くらい連発され、「心配だなあ、これ」と何度も喉の奥を覗く医者。
「気をつけてくださいよ」って、あなた、
「即死じゃ気をつけようがないじゃないっすか」と突っ込む私。
どんなに熱があろうと、突っ込みだけは忘れない・・・ってなんだか悲しいサガ。

その後、点滴やらニンニク注射やら抗生物質やらのおかげで、
ようやく復調。
最初に食べたのはおかゆだったけど、
もともと胃腸が悪いわけではないし、私は特別頑健な胃腸をしている。
「早く固形物寄越せ〜」と叫び続ける胃。
食べたい、と飛び込んだのが、激辛ラーメン。
しかし、そのとき私の口の中は、薬のせいか免疫力低下のせいか、
口内炎がいっぱい・・・。舌のど真ん中にも大きな口内炎が。
そこへ激辛ラーメン。
つらかった。だけどおいしかった。胃は満足。
さらに翌日は、こってりこってりのクリームスパゲティ、
そしてさらに、ひれカツ丼。
激辛ラーメンに驚いたか、すでに「撤収〜」の命令が下ったか、
口内炎はあっという間に治っていた。
ひれカツ丼、おいしい〜。

胃腸が悪いわけでもないのに食べられないというのは、最高につらい。
食べられるようになってから、すぐ食べるのは、こってり系ばかり。
胃腸が要求しているのだ、と思って、気にせず食べたいものを食べるしかない。

今は少し落ち着いたので、お寿司でも食べたいなー。

野球とあれこれ

あんまり「忙しい」という状態に慣れていないので、
(というか、ただの怠け者)
このところの忙しさには、自分でもびっくりする。
ま、とにかく今年は「仕事をする年」と決めたので、
やれるだけやってみようとは思っているけど。

今日のWBC日韓戦、なかなかおもしろかった。
私は特にナショナリストではないので、
「日本がんばれ」と思っていたわけでもないが、
いい試合だった。
「思いが強い」ほうが勝つ、という典型的な試合。
不調だった福留のホームランには驚いた。
ああいう場面で代打で出てきて、あの広い球場でホームランを打つとは。
久々、日本のナインに「男」を感じた一瞬だった。

今放映されている「suica」のコマーシャルには泣かされる。
ペンギンのsuicaが携帯で話しているのは家族なんだろうなあ。
suicaは、なぜ家族と離れて日本にいるのだろう。
携帯の待ち受け場面に映っている家族の写真を見て、
落ちこんでしまうsuica。
suicaと一緒に暮らす彼女(名前は?)は、
そんなsuicaに毛糸の帽子を買ってあげる。
うれしそうなsuica。あのあたりでなぜか泣けてしまった。

前のバージョンのときから、suicaと彼女がなぜ一緒に暮らすようになったのか
と思っていたが、案外、深い謎があるのかも・・・。
それにしてもsuica、感情豊かで、とってもかわいい。
本当のペンギンは、かなり獰猛だと聞くけれど。

いいことと悪いこと

よく人生トータルでプラスマイナスゼロ、だという。
私自身もそう思っているけれど、
これは短期間でも同じことだなあ、と最近思う。
ちょっと仕事が順調で浮かれていると、
それをどーんと落とすようなつらいことがある。

自分にとって何が必要なのか、何が大事なのか。
誰かが必要としてくれているのかいないのか、
今、よくわからない。
大きく考えれば、たとえ社長がつかまったって
会社は回っていくのだし、有名作家が亡くなっても人はその死を悼むけれど
地球が回らなくなるわけでもない。
でも、私たちは基本的には小さな日常で生きている。
小さな日常で大事なことが、人生にとって大事なことになるはずなのだけど。

久々に

月曜日、久々にジムに行ったら、すっかり筋力が落ちていた・・・。
インストラクターに言わせると、「筋力が落ちたというよりは、
筋肉の使い方を身体が思い出せない」状態なんだとか。
軽めの負荷でやったほうがいい、と言われて、軽めの負荷でせっせと筋トレ。
ついでに時速6キロに設定して30分くらいウォーキングした。
途中で時速を上げて、ジョギングにトライしたら1分でダウン。
ひえ〜、体力ない〜とびっくりがっかり。
またイチから体力トレーニングやり直しだ。

現状の私の仕事は、本の執筆、雑誌連載(いわゆる署名原稿)、
単発での署名原稿、それと通常の雑誌ライター業務。
本を出すと、それに取材を受けることが加わったりする。
どれもこれも私にとっては大事な仕事で、
もともとは雑誌のライターだし、今もそういう仕事は好きなので
できる限り続けていきたいと思っている。
著名人へのインタビューなどもおもしろいし、
雑誌ライターで読者に会ったりするのもおもしろいし。
平たく考えれば、人に会ってものを書く、ということではすべて共通しているのだから
別に仕事を分ける必要もないなと思う。